偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏826八溝・都山(茨城)道標

2018年12月14日 | 登山

八溝・都山(みやこやま) 道標(みちしるべ)
【データ】 八溝・都山 565メートル(国土地理地図に山名は無い。権現堂集落北西の565標高点最寄駅 JR水郡線・大子駅登山口 茨城県大子町中郷の権現堂集落石仏 月柄峠、下地図の赤丸印。青丸は地蔵堂、緑丸は妙見堂地図は国土地理院ホームページより

【案内】 権現堂集落の裏山のピークを都山あるいは三森山と記しているのは、飯村尋道氏の『八溝山麓の里山を歩いて』。この山の南にあるのが権現堂と上野宮の宮本集落を結ぶ月柄峠。そこに道標が立つ。高さ
63センチの自然石に「左右同道」から始まり「めうがまな者多/さかのした二りいこう三り/だいじく四り/やつき一ノ宮五り/たなぐら六り/しらかわ十二り/せんだい五十二り廿七丁志をかま五十七り廿七丁」銘がある。これは八溝山山麓の上野宮方面から、福島県棚倉町八槻の一の宮・都都古別神社を参詣して、白河から仙台の一の宮・塩竃神社へ向う人・六十六部のための道標に違いない。
 上野宮から白河に出るには八溝山から白河の関を越えれば近い。月柄峠を越えて、茗荷・真名畑・坂の下・伊香・台宿から八槻の一ノ宮を参詣して、棚倉から白河へ出るのはそうとうの遠回りである。しかし各地の一の宮を巡る六部にとっては遠い近いは関係ない。下野の一の宮・二荒山神社から棚倉の都都古別神社へは、八溝山を登ってこの月柄峠を越えるのが一番の近道である。道標裏に「天保四巳(1833)ノ六月日/中郷村/佐藤左エ門/八エ門」とある。八エ門は後からの追刻のようだが、二名とも六部の経験者かあるいは支援者だったのかもしれない。



【独り言】 権現堂から月柄峠への道は、集落内の小高い丘の上にある地蔵堂から始まります。堂内に祀られた本尊は石造地蔵菩薩で、山向こうの福島県矢祭町内川の平畑から運んできたものと、『八溝山麓の里山を歩いて』にありました。「女人念佛供養/享保十五年(
1730)」銘があります。地蔵堂の下の広場が権現堂集落のテントウ山と、道端で柚を採っていた権現堂の男衆が教えてくれました。そのテントウ山に祭神らしいものは何もありません。集落ごとにあるというテントウ山は、大日如来の石塔を祀るのが基本ですが、木祠だったり何もなかったりいろいろなのが現状です。

 月柄峠への道の沢を渡ったとこに馬頭観音の丸彫り像と文字塔3基が半ば土に埋もれてありました。馬頭観音が多いのも八溝山麓の集落です。


 峠には尾根通しに林道が通じていました。その片隅に立っているのが案内した道標です。林道を左に少し下ると、このブログの八溝・大神宮山で案内した百堂念佛供養塔が立っています。右は妙見堂の祀った小ピークの下を通って都山の肩に出る道です。権現堂集落から直接妙見堂に登る道のあったそうです。月柄峠の道標の冒頭に「左右同道」とあるのは、右は権現堂への道、左は妙見堂への道だあるが、どちらを選んでも同じですよというふうに解しました。


 妙見堂の
お堂は上野宮の宮本集落の方を向いて建てられていました。馬の神様で、昔はお堂の下で競馬をやったと、これも権現堂の男衆の話でした。競馬をやったあたりに大きな石碑がたおれているはず、というので探したのが中郷と上野宮に人たちが立てたもので、裏返しになっていて造立目的はわかりませんが、銘から推測するに尾根に通した林道に土地を寄進した記念碑のようです。都山の肩には唐竹久保からの道が来て、都山の登山口です。どこに登っても石造物が祀られている八溝山麓の里山ですが、都山にはなにもありませんでした。


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1 コメント

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地図が間違っています (シモン)
2023-12-18 21:19:35
2023年12月17日に権現堂(中郷)から月柄峠を経由して上野宮へ至る昔道を歩いてきました。
地蔵堂から月柄峠に登る道は、掲載されている地図の赤い破線よりももう一つ南の谷を通っており、稜線の林道から・369を通る破線の道に続いている所へ出ます。ここに「左右同道」の道標石碑があります。
ご確認ください。

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