HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

帰国しました

2024-04-28 | 暮らす
北京での仕事が終わりました。

今回は3年半あまりの滞在でした。

再び東京に戻ってきました。

監視のない祖国は自由でのびのびできるので快適です。食事も美味しいです。

一方、あの混んだ電車で通勤する日々に戻ることは少し気が重くなりましたが、案外数日で慣れました。体は長年の習慣を覚えているものです。



日記は再び東京編に戻りますが、まだ中国で撮りためた写真がたくさんありますので、ぼちぼちご紹介していくことにします。

引き続きお付き合いください。
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紫禁城内廷 軍機処

2024-04-23 | 北京を歩く

軍機処は皇帝直属の軍事諮問機関です。雍正帝の時代に設立されました。

内廷の入口である乾清門の西側にあります。





小説「蒼穹の昴」には軍機処がよく出てきます。

小説では光緒帝の側近だった梁文秀や楊喜楨がここで執務を行い、出入りするシーンが描かれています。

実際に行ってみると、その規模の小ささと質素ぶりに驚きます。平屋建てで養心殿の南側に「ついでに」くっつけられているような感じです。

皇帝を支える大事な決定を行い、取り仕切ってきた重要な役割を果たした機関なので、もっと立派な建物を想像していましたが、拍子抜けするほどです。

そのせいもあってか、軍機処に注目している様子の観光客はほとんど見かけません。



これが全景です。長屋風です。壁の向こう側は養心殿です。

今は改修中とのことで、中に入ることはできませんでした。

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法源寺 - 大化の改新と同年創建の古刹を訪ねる

2024-04-13 | 北京を歩く
北京で最も古い寺のひとつとされる法源寺を訪ねてみました。

牛街の東側です。



寺がつくられ始めたのは645年だそうですから、唐の第二代皇帝李世民が高句麗侵攻をしていた時代です。日本では大化の改新の年です。



中国語の文献によると、この寺の成り立ちにはこの高句麗遠征と関係があるようです。

遼の時代(916-1125年)の北京の中心地は、ちょうどこの辺りだったと伝わります。今は故宮を中心ににて南北の中軸線があって、東西に街が広がりますが、当時は違いました。

唐の時代からこの辺りが中心だったのでしょうか。

南側の山門をくぐると、樹高のある老木と広大な広場が出迎えます。右に鐘楼、左に鼓楼があります。

以降、北に向かって順に天王殿、大雄宝殿、観音殿、毘盧殿、大悲殿、蔵経楼とお堂が続きます。



法源寺の敷地内には中国仏学院と中国仏教図書文物館があり、多くの若い僧侶が行き交う姿がありました。

構内のいたるところに古そうな石碑が立っています。



北京でこの手の石碑を見かけると、たいていは乾隆帝のものですが、どうやらここのそれはそれ以前のものが多いようです。

風化で文字が読み取れなくなっているものもありますが、元や明代のものがあります。歴代皇帝から受けた信仰の篤さが伝わってくるようです。



このシロマツも古そうです。樹齢数百年はありそうです。

何気なく置いてあるこの大きな石鉢も古そうです。



風雪に耐え、動乱に耐え、よくぞここまで残ってきたものです。



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紫禁城 太和殿

2024-04-03 | 北京を歩く
太和殿は紫禁城の正殿です。





明と清の時代はここが天下の中心と考えられてきました。

ここが北京中軸線のさらに中心です。この国の人々にとっては神聖な場所です。

太和殿は大理石が積まれた3段の台座の上に建っているので、上ってみるとなかなか高さがあります。





現存する中国最大の木造建築だそうです。

歴代皇帝により様々な国事や祭事が執り行われました。

近づいてみると、その壮大さに圧倒されます。
現在、一般客は殿の中には入場できず、入口付近から眺めるしかありません。

映画「ラストエンペラー」のラストシーンで年老いて背中の丸くなった溥儀がここの玉座の後ろ側に隠しておいたコオロギの虫壺を取り出し、「おじさんも皇帝だったんだよ」と言いながら守衛の少年に差し出す印象的なシーンがありました。





映画では溥儀役のジョン・ローンがこの龍の石刻を登るシーンがありました。

太和殿は「蒼穹の昴」シリーズでもたびたび登場しました。

太和殿の前に広がる広場はかなり広大です。皇帝の儀式の際にはこの広場に官吏や宦官たちがひれ伏したのでしょうか。



「蒼穹の昴」では、科挙の最終試験である殿試を終えた梁文秀が、保和殿からここまで歩いてきて立ち止まり、空耳で母の声を聴きます。
そして亡くなった母を思い出をめぐらせ、石に膝をつき、両手を地につき、額を地に打ちつけ、涙を流しながら母に対する感謝の言葉を語りましす。とうとうやったんだと。自分は進士になったんだと。



これが文秀が額を打ち付けた太和殿前の広場です。



この土台の角に飾られている角のない龍のような怪獣は、「螭」とよばれる想像上の動物です。
よみかたは「ち」または「みずち」です。むしへんに璃のつくりです。

魔除けの役割でしょうか。雨が降るとこの獣の口から勢いよく水が飛び出してきます。



紫禁城のいたるところで見かけます。よく観察するとひとつひとつ微妙に違っていて、愛嬌があります。





鶴と亀は長寿の象徴です。いずれも銅製です。



これは日時計です。

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