町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

最後の活躍を見せる東京メトロ7000系

2020年02月29日 | 首都圏の地下鉄

東京メトロでは、2019年1月11日に有楽町線・副都心線用新型車17000系の導入を発表し、予告通りに2020年1月19日に第一陣となる17101編成が綾瀬車両基地に搬入されました。17000系は7000系の置き換え用に充当される為、入れ替わりで最初に有楽町線・副都心線兼用の10両編成に廃車が発生すると予想されます。

副都心線開通に伴う改造工事で、同線専用の8両編成15本と有楽町線兼用の10両編成6本に分けられる事になり、改造の対象外になった残りは編成ごと廃車またはインドネシアへ譲渡されています。6編成が在籍する10両に関しては東急東横線内では必ず急行ないしFライナー特急に充当され、埼玉県の飯能・森林公園から元町・中華街までのロングラン運用を日常的に見ることが出来、今となっては営団地下鉄時代からの古参車両が長距離速達列車に入る貴重な光景になっています。

副都心線専用の8両は、近年になりWi-Fi環境が整備された編成が存在するため、今しばらくその活躍が見れるようです。以前にも書いたことですが、千代田線の6000系とほぼ同じ車体・内装なので、引退してしまった同形式の面影を味わうことも出来、置き換えが決まった今要注目の車両と言えます。尚、現在活躍している10両編成全てと8両の03・09・13・15・16・19・20の7編成は、1974年10月30日の有楽町線池袋~銀座一丁目間開通時に5両編成で登場し、その後延伸と共に車両の増結と大規模更新改造を繰り返しながら生き延び今年2020年で46年目を迎えました。ベースになった千代田線6000系の「21世紀の電車」という設計をほぼ引き継いでいますが、そのコンセプト通りの活躍を見せているのは賞賛に値するでしょう。 

初期車の車内。以前にも載せましたが今回は中間車です。当初は田の字型二段窓で、後の改造により一段窓化した天地寸法の小さい側窓や小型窓装備のドアが昭和の地下鉄車両らしさを感じさせます。登場から長らく特徴だったキノコ型の広幅貫通路は改修工事で通常の狭幅に改められ、引戸が新設されました。

半蔵門線8000系後期車の設計を取り入れ、増結用に増備された中間車車内。側面窓や座席袖部の仕切りの寸法、また天井のラインデリアなど様々な相違点がある他、一部車両はドアの手掛が片側にのみ設けられているなど、バリエーションが見られます。

いよいよ置き換えが始まる7000系ですが、VVVF車の導入を行っているインドネシア・KCIへの譲渡が発生しないかと期待を抱いたものの、インドネシア政府が今年で中古鉄道車両の導入を禁止する方針でいることや、KCI側も上級クラス車の導入というウルトラCでJR東日本のE217系導入を狙っている現状では、半蔵門線8000系と共に難しく、再起は厳しいのが惜しまれます・・・。

 千代田線の6000系の時はロクでもない写真しか残せなかったので、マニアが少ない内に狙って撮影したいと思います。

 

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3社直通をこなす万能特急車、小田急60000形MSE

2020年02月27日 | 小田急電鉄

20083月に日本初となる地下鉄直通対応の特急型電車として衝撃のデビューを飾った小田急60000形ですが、すっかり行楽や帰宅時の足として定着し今年で12年目を迎えました。東京メトロ千代田線との直通の為に設計された車両ではありますが、2012年からは20000RSE車の後任としてJR東海の御殿場線進出も果たし、小田急の現役車両では他社線3社(東京メトロ・箱根登山鉄道・JR東海)への直通を行っている唯一の存在です。

身軽な6両編成で複々線区間を駆け抜ける“ふじさん”に充当中の60000形。“はこね”と“えのしま”の併結列車やホームウェイなどで10両編成を組む運用もありますが、6両単独での運用も多数設定され、需要に応じて柔軟な運用を可能にしています。地下トンネルでも明るく見えるようにメタリック調のフェルメール・ブルーで塗装された車体は、見る角度や場所によって色合が変化し一際目を惹き付けますが、この色のモチーフは17世紀のオランダ黄金時代を代表する画家、ヨハネス・フェルメールの作品で見られる独特の鮮やかな青で、ラピスラズリを精製して作られるウルトラマリンを用いて生み出される色です。有名どころの作品では、「牛乳を注ぐ女」「真珠の耳飾りの少女」などと言われればピンと来る方も多いのではないでしょうか。

10両編成組成時には中間に入る貫通型先頭車。形状は全く異なりますが、全体的なイメージは揃えられており、最もデザイン作業の掛かった部分と言われています。かつては通勤車の分割運用が小田急の名物でしたが、今や分割運用が存在するのは30000EXEとこの60000MSEのみになってしまいました。

50000VSEに近いイメージの車内ですが、ビジネス利用も多い為落ち着きのあるグレー系の座席になり、A4サイズのノートパソコンを置けるテーブルを備えています。しかし座席のクッションが薄いため、30000形には座り心地は及びません・・・。

車内案内表示はフルカラーLEDによる2段表示で、デッキとの仕切り扉上に設置しています。4ヶ国語(日・英・中・韓)表示にも対応しており、近年急増する外国人利用者にも配慮されました。


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新世代江ノ電車両・2代目500形

2020年02月25日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

2000年代も半ばになると、長年主力車種だった300形も代替が計画されるようになり、304編成が老朽化と塩害の影響で台枠に損傷が判明し、2005年9月で引退が決定。代替車で2006年春に、在来車各形式とは全く異なる新型車両として台車や空気圧縮機、蓄電池などを再利用して2代目500形が登場しました。2002年登場の20形まで、江ノ電の車両は抵抗制御車のみでしたが、満を持してのVVVFインバーター制御と極めて珍しい塗装仕上げながらステンレス車体を採用し、江ノ電では初物尽くしの新形式として、独特の存在感を放っています。

珍しく500形同士で綺麗に揃った4両編成を組み運用中の姿。通常は先頭と最後尾のみ使用するところ、全て上昇させた4丁のパンタグラフが勇壮ですが、回生失効を防ぐ為、この措置が取られています。これは他形式との併結時でも同じで、500形の特徴的な部分です。

2両単独で運用された501編成。同形式は、初代500形を意識して設計されている為、丸みを帯びた車体デザインなどから窺い知ることが出来ます。初代500形も、1950年代の地方私鉄車両として非常に画期的なヨーロピアンな雰囲気を漂わせる曲線を多様した車体に両開き扉・簡易クロスシート・テープ式自動放送を備えて登場し、世間をあっと言わせたことは良く知られていますが、クロスシート以外は現代の500形を思わせる部分があり、如何に斬新な車両であったかが分かりますね。その後の更新でこれらの特徴は全て解消され、他形式並みに揃えられてしまいますが、1997年登場の10形から、これらの設備が徐々に復活しているのが実に興味深い点です。

車内は先に登場した10形・20形が車端部にクロスシートを備えていましたが、500形は乗務員室後部以外はロングシートとしました。座席は現在主流の所謂バケットタイプではない通常のシートです。

ドア上には車内案内表示として、15インチ液晶画面を設置。向かって左は動画広告用ですが、地上波で配信される内容を流すわけではなくDVDの映像を繰り返し流すタイプで、撮影した日には使用されていませんでした。この設備は1000形グループにも波及し、車体更新時に設置されています。


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登場から60年、今なお現役の江ノ島電鉄300形

2020年02月23日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

本日、2020(令和2)年2月23日は、今上天皇即位後初めての誕生日となりました。謹んでお祝い申し上げますと共に、波乱続きの令和の御代の平穏と皇室の弥栄を心よりお祈り致します。

さて、今日の記事は奇しくも今上天皇と同い年を迎える江ノ島電鉄のスター300形305編成です。つい最近は極楽寺検車区で編成を分割した姿が目撃され、廃車説も囁かれ冷や汗が出たものでしたが、補修工事の為に入場したらしく、再び車体の輝きを取り戻し運用に復帰して元気な姿を見せるようになりました。

最大で6編成が在籍し、江ノ電の主力車種だった300形ですが、何れも形態や遍歴が異なり単車の100形を大改造した編成(302303304編成)と都電からの譲受車(301306編成)を改造した編成、そして台枠のみ京王初代2000形(※現存する保存車は2代目)より流用し車体や走行機器を新造した写真の305編成と、バリエーションに富むことが特徴でした。

改造に改造を繰り返していることが災いしたか、車体の傷みや老朽化で他の編成が引退して行く中で、この305編成はしぶとく生き残り現在も最も江ノ電らしい車両として広告への起用やマスメディア露出が多く、イメージリーダー的な地位を築いています。

映画“DESTINY 鎌倉ものがたり”のタイアップ企画でヘッドマークが付いた305編成。藤沢方は“現世”行きですが、鎌倉方は“黄泉”行きでした。

首都圏では極めて珍しくなった板張りの床が残る車内。側面のバス窓と共に、レトロな雰囲気を醸し出していますが、これも人気を集めている理由の一つです。

新造車はいえ、台枠のルーツは京王電鉄の府中~京王八王子間の前身だった1925年登場の玉南電気鉄道1形(→1944年に初代京王2000に改番)まで遡ることが出来、その新造車体も1960年製であることから、首都圏全体でも最古参車両の部類に入る車両になりました。現状では徹底した整備で、安全上の問題が無い限り運用する方針のようですが、それでもやはり60年に達すると老朽化も気になるところ。特に台枠が何らかの理由で破損した場合、再起不能になってしまう為、いつ何があってもおかしいことは無い状況です。鎌倉観光の際は、狙って乗車や写真撮影をじっくり楽しみたいですね。

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