夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

金(カネ)に目がくらむ。〈海外編・アジア〉

2002年11月27日 | 映画(番外編:小ネタいろいろ)
金に目がくらむのは何処も同じ。
タイの作品、『6IXTYNIN9 シックスティナイン』(1999)もそうです。

不況で勤め先の会社をリストラされたOL。
打ちひしがれているた彼女のマンションの部屋の前に、翌朝ダンボール箱が。
開けてみるとあっと驚く大金。
6号室に住んでいた彼女ですが、
部屋番号を留めていた2本の釘のうち1本が落ちて
6がくるりとひっくり返り、9号室になっていたため、
9号室に届けられるはずだったヤクの代金が
6号室にまちがって運ばれたせいでした。

天からの恵みと思ったかどうか、
とりあえず彼女はそのお金をネコババしてしまうことに。
ところが消えたヤクの代金をめぐってヤクザたちが揉めはじめ……。

金に目がくらむと殺人すらおかしてしまう。
『ひみつの花園』(1997)とは趣きもちょっとちがって、
この映画を暗いと言う人もいるでしょう。
でもお金を目の前にすると信じられないパワーを発揮してしまう、
それが良いにしろ悪いにしろ、そういう部分はおんなじですよね。

全編に漂う暗さが私はまた好きでした。
もうひとつ、誰をリストラするかを割り箸のクジで決めるのには
笑っちゃいました。これ、ホンマみたいやなぁ。(^^;

同じタイ映画でも、オカマのバレーボールチームの話、
『アタック・ナンバーハーフ』(2000)は明るいです。
「金(カネ)」の話からはズレちゃいましたけど、こちらもオススメです。

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金(カネ)に目がくらむ。〈日本編〉

2002年11月27日 | 映画(番外編:小ネタいろいろ)
宝くじ、買いましたか。
私は昨日さっそく買ってしまいました。年末ジャンボ。
当たるわけないと思いつつ、買わな当たらん宝くじ。

誰もが夢見る一獲千金。
宝くじを買わなくても、強盗しなくても、
大金を手に入れられるとしたら人はどうするか。
金に目がくらんだ話というのは映画でも多いですね。

私がもっとも好きな「金に目がくらんだ話」は『ひみつの花園』(1997)。
現在月9にミポリンと出演中の西田尚美主演の邦画です。
小さい頃からお金を貯めることにしか興味のなかった西田演じる女性。
趣味が高じて(?)銀行に就職します。
お金を数えることに生き甲斐を感じて没頭する、
彼女のニタ~ッとした表情からして笑えます。
とはいうものの、所詮は人のお金。
これが全部自分のものだったらなぁと思っていたところへ銀行強盗が。
彼女はなんと人質にとられて、犯人とともに現金を積んだ車へ。
車内に押し込められてどこを走っているかもわからないままでしたが、
やがてハンドルを切り損ねた車は谷底へと墜落してしまいます。

犯人は死んでしまいましたが、彼女はなんとか車から脱出。
ヘロヘロになって倒れたところを村びとに発見され、時の人となります。
現金は炎上した車とともに消失したと思われていました。
が、彼女だけは知っていたのです。
谷底に現金が沈んだままになっていることを。

ここから彼女は現金に対する執念を見せはじめます。
カナヅチだったのにスイミングクラブに通い、
選手権を勝ち取るほどに。地質学はプロフェッショナルに。
ロック・クライミングまではじめて、これもスペシャリストに。
とにかくあの現金を埋もれたままにしておけるかと
なんでもかんでもやる姿はホントにすごくて笑えます。

監督は『ウォーターボーイズ』(2001)の矢口史靖。
『ウォーターボーイズ』で一躍有名になりましたが、
私は『ひみつの花園』のほうが断然好き。オチも奥が深いですぞ。
一年に一度は見たくなる、オールタイム・フェイバリットです。

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ハリウッドは謝らない。

2002年11月22日 | 映画(番外編:小ネタいろいろ)
かねてからの疑問。
なんでアメリカ映画では親は子に謝らないのか。

クリスマス映画の定番『ホーム・アローン』(1990)もそうでした。
家族においてけぼりにされたケビン君が泥棒と奮闘するわけですけど、
最後に家族と抱き合うシーン。
なんという台詞だったか全然覚えてませんが、
「おいてけぼりにしてごめん」はなかったはず。
ちがったっけ、もしかして謝ってたらごめんなさい、ケビンのパパとママ!
映画自体には何の文句もありませんけど。

『誘拐騒動 ニャンタッチャブル』(1996)。
ある屋敷の家政婦が誘拐・監禁されていることに気づいた、
近所に住む少女(『アダムス・ファミリー』(1991)のクリスティナ・リッチ)が、
その家政婦を助けだそうと親や警察に相談するけれど、誰も取り合おうとしません。
意を決した少女はみずから家政婦救出作戦に乗りだし、そして自分も危険な目に。
最後に家政婦とともに無事生還した少女と母親が対面し、
抱き合ってめでたしめでたし、という展開ですが、
「心配したのよぉ」とお母さん。それだけかい。
自分の子どもを信用しなかったことを詫びたりはしないのでした。
これは天下のディズニー映画だぞ!

なんでもかんでも“Sorry”と言ってしまう日本人との差でしょうか。

先月ビデオレンタルしたジョン・トラヴォルタ主演の
『ドメスティック・フィアー』(2001)はそういう点ではびっくり。
両親が離婚して、母親と暮らす息子。
母親は人柄の良さが評判の男性と再婚。
が、その男性が殺人犯であることを知った息子は父親に助けを求める。
日頃から不良少年であった息子の言うことは
母親も警察も戯言と決めつけ、息子を信じているのは父親だけ。
家族愛を描きたかったのか、サスペンスにしたかったのか
これまた中途半端な映画だけど、
最後に刑事が「信じなくて悪かった」と謝ったのに驚いた。
でも母親はやっぱり謝らないのですけれど。
犯人との格闘で救急車に乗せられたからしゃあないか。

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この台詞にイカレました。(続)

2002年11月18日 | 映画(番外編:映画と邦題・字幕・台詞)
調子に乗って続編です。前回はこちら。
私の記憶によるものなので、細かいところは自信なしです。

『点子ちゃんとアントン』(2000)。
裕福な家庭に育っているけれど、
母親が始終仕事で家を空けていることを寂しく思う点子。
貧しい母子家庭だけど母親といつも一緒のアントン。
そんな点子とアントンは大の仲良し。
でも、ある日アントンが点子の家で盗みを働いてしまい、
お互いの家は険悪な雰囲気に。

点子はアントンを信じるけれど、
点子の母親はふたりがあそぶのを許そうとしない。
物語の終盤で家族同士がとてもいい関係になって、
みんなで一緒に海へ出かけます。

自分の両親がアントンやその母親と楽しそうに泳ぐのを
防波堤に腰かけて眺める点子。
海辺から点子に向かって声をかける父親と点子の会話がこれ。

「点子、泳ごうよ」
「泳げないの」
「どうして?」
「胸がいっぱいで」。

最後の「胸がいっぱいで」は点子がつぶやいた言葉で、
父親の耳には届いていません。それがなおよかった。
もともと幸せな気分になれる映画だけど、
このひと言でその気分倍増でした。

『君を見つけた25時』(1998)。
ビビアン・スーと香港映画のスター、トニー・レオンが共演した映画。
はっきり言って、ストーリーはほとんど覚えていません。
でもひとつだけ覚えているセリフが。

「彼女は僕が初めて捨てた女。
 捨てられた気分がトウガラシなら
 今の気分はワサビ。
 どちらも涙が出る」。

そんな経験があるわけじゃないけれど、
これはジワッときましたね。なぜか。

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この台詞にイカレました。

2002年11月16日 | 映画(番外編:映画と邦題・字幕・台詞)
オチがバレそうですけど、
やはり掲示板にあがってるあいだに、このネタ、いっときます。
(〈おことわり〉「さるさる日記」サービス終了にともない、その掲示板は閉鎖しました。)

『シックス・センス』(1999)にやられたのは、
あのオチのせいじゃありません。
ブルース・ウィリスが最後に言った、たったひと言のせいです。
奥さんに向かって残した台詞。
字幕では「大事に思ってたよ」でした。
もともとの台詞は“You’ve never been second.”。
「2番目じゃなかったよ」でした。

確かに、「2番目じゃない」というのは
「大事に思ってた」ということなのでしょうけど、
「いちばん大事だったよ」と言えない彼の、
最大限の愛情表現だったような気がして、
「1番だったよ」と言われるよりずっとずっと胸にグッときました。

ほかにもこの台詞にやられましたという映画がいろいろ。

『顔』(2000)では、殺人事件を起こして逃亡中の藤山直美が、
途中の町で出会った佐藤浩市に想いを寄せる。
その町も出ないと捕まりそうだと悟ったとき、
佐藤浩市を呼び出して言う台詞。

「お日さんが西からのぼったら、うちと一緒になってください。
もし一緒になられへんかったら、その次生まれてきたときに
一緒になってください。あかんかったら、またその次に」。

こんな感じの台詞でしたね。これには泣かされました。
いまから自分は逃げる。そして死ぬかもしれない。
自分の好きな人はそのことを全然知らんけど、
この約束で自分はなんとか生きていける。
死んでも死んでも、この約束があればまた生きられる、
そんな思いがズシンと伝わってきました。痛かった。

「台詞シリーズ」、次回に続きます。

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