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一度だけでも




旦那の一族は音楽(でなければ数学)に才能ある家系のようだ。


祖父はバイオリン、オジはクラリネット、オバはフルート、いとこはビオラ...他にもいろいろ。


ワタクシが嫁いできたとき、「ピアノが加わった!」とみなで大喜びしてくれたのだが、わたしのピアノのレベルはお話にもならないヘタの横好き、人様に聞かせたり、他の楽器と一緒に演奏するなぞ百万光年早いことでございます、と逃げまわっていて...


祖父が逝ってしまった。

お葬式ではいとこがバイオリンを演奏した。

ヘタでもなんでも一度だけでも、わたしも彼の前で弾けばよかったのだ...








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今年の秋は気候に恵まれ、ほんとうに仕合わせな気分。
コートやセーターをこれでもかと着込まなくていいので伊達もできるし...


それでも空は確実に高くなり透明度を増し、木々の枝もだんだん寂しくなっていく。
そして市場で見かける野菜や果物そして花も、秋/冬モードにシフトしていくこの頃...


赤ちゃんの握りこぶしくらいの大きさのおみかん。
黒や黄色の豊富なキノコ類。
さらにおいしくなる洋梨。
ほくほくの栗!
かぼちゃ。


わたしは和食がだ~い好きなので日本の旬が味わえないのは無念だが、「この土地でとれる旬のものを食べる」ことが身体にも、環境にも、経済にも良いのだと自分に言い聞かせつつ...(ああ、それにつけてもさんまが食べたいわ)。


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口実




今日もおばさまネタ。


何となく忙しい一日を終え、夕食の用意にとりかかっていると玄関のベルが鳴った。出てみると3軒ほど先に住まうマダムが満面の笑顔で立っている。


彼女はわたしたちの生活にとても興味を持っているらしく、時々「お宅の前にちょっと車を止めさせてもらっていいかしら?」などと何かと(許可を取らなくてもいいような)理由をつけては、わが家の玄関先をちらりと覗きに来る。

まあ、外国人がどういう風に生活しているか?!というのは興味をそそるネタなのであろう。


さて今日は...「猫がお宅の庭に迷い込んでしまったみたいなのよね。探させてもらっていいかしら?」

わが家の庭は狭いし障害物が少ないので、蟻ならともかく、猫が迷い込んでしまうようなミステリアスな部分は全くない(笑)。

聞けば迷子になったのはご自分の飼い猫でもないと言うし、こりゃとうとう家の中が覗いてみたくなったのね、とダイニングキッチンから庭に出て行く彼女のおしゃべりを聞きながら苦笑することしきり。お茶を差し上げればよかったな。


当然その「白い猫」は見つからず(笑)、好奇心を満たしたように帰って行く彼女の後ろ姿を見送りつつ、わたしもいつか気になる(素敵な)人(男性)が引っ越してきたら、同じネタでお近づきにならせていただこう、と思った。
ああそしてワタクシもおばさまの仲間入り(笑)。





わが家の裏を流れる運河。
落葉が水面に水底に。きれい。



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大人になる




「Moetさんって雰囲気が浮世離れしてるのよね。」
「浮世離れと言うか、生活感がないのよ。」
「浮世離れと言うならば、霞食って生きてる、っていう感じよね。」
以上、この方々はいい意味で言っているのではない。悪意でいっぱいに違いない(笑)。


わたしには昔からなぜか年上の友人が多い。この会話もわたしより一回り年上のマダム達との間で交わされたもの。

わたしは同年代の友人達の中では在ベルギー7年で長い方、年齢だって上の方、なのだが、在ベルギー20年以上が当然のマダム達の中に入るとまだまだお嬢ちゃんである。年齢ってレラティヴ。



なぜこんなことを書いているのかと言いうと、レラティヴでなく若かった頃、年上の友人に、「世間に出て大人になるということは、他人が見たMoet像が本当のMoet像であるということ。言い訳はできない。」と言われたのを、感慨深く思い出したからである。

すごく潔いではないか。潔い人間になることはワタクシの終身の目標でもあるのだ。


次回からはマダム達に何を言われて肴にされようと(笑)、「そんなことないですよ~」などと反撃/言い訳などせず、黙って微笑んでエレガントに流せる、そんな人になろう(笑)。


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夜景借景




時刻は23時。


マルクト広場を横切ると、秋の澄んだ空気の向こうに広がるクリアで真っ黒な空を背景に、ライト・アップされた鐘楼が金色の濃淡で輝いていた。

その色のコントラストにうたれて、家の窓から撮影。
う~ん...難しい。肉眼では鐘楼がくっきり見えるのだが...時計の文字盤も読めるし、手も届きそうだ。
おまけだが、目を右に移すと後光が射すかのように輝く聖母教会も、聖サルバドーレ教会も見える。ああ絶景かな。

今夜はこの窓辺で、闇に浮かび上がる古い塔を眺めながら夜のお茶...



神戸の山手で生まれ育ったわたしには夜景は原風景である。家の窓やベランダからは、まさにベルベットに宝石を散らしたような風景が見え、子どもの頃は母によく「目を休めるために遠くを見なさい」と外に放り出されたもの。

ブルージュには夜景を眺められるような高台もないし、夜景の元になるような繁華街もない。家内の明かりは薄暗く赤っぽい電球が中心だからか、家の密集したエリアでも光がきらきらしている、なんてことはありえない...

たまに出かけるロンドンやNYで、ホテルの高層階からきらめく夜景を眺めるのはわたしにとっては究極の癒し、ずっとずっと眺めていたい...できれば素敵な人と(笑)。


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