青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

関の山

2008年09月29日 21時56分34秒 | 日常
今日の札幌ドームの公戦、まーダル相手だから苦しいとは思っていたけど、それでも勝てばギリでCSに滑り込む事に大きく近付く大事な一戦だった訳ですが…

結果は2-1の競り負け。
決勝点は塀内のフィルダースチョイス。
あ~あ。

同点の8回裏、1死1・3塁でセカンド真正面の強いゴロ。
僅かに一瞬塀内のグラブからボールがこぼれた。
すぐさま捕球しホームに投げる塀内。
突入する糸井、ブロックする里崎…
だが、投げた位置にちょうどランナーの足が挟まった。
僅かにボールはミットに収まらず、ホームの上を転々と転がり…
これが決勝点。

本当に塀内ってのはこういう星回りなのね。

サードランナーの糸井が物凄いギャンブルスタートを賭けたのも不運だし、送球と走塁が交錯したのも不運だし、タイミングとしても普通に投げててもどうか…と言うプレイだったと思う。
ただ、勝負の掛かった大一番の極めて重要なポイントの一つのプレイに魅入られたように守備機会が回って来て、そこで致命的なやらかしをして決勝点を献上してしまう…
そのあたりに、単なる不運と片付けるのはかわいそうな星回りの悪さを感じてしまいます。

塀内なんて一軍半にも満たない選手なんてお呼びでない場面なのかもしれないし、この程度のプレイが関の山だとか使うほうが悪いとか言われればそれまでなんだけどね。こう言う人の事を関西では「インケツ」と言うらしいけどさ。

ところで、「関の山」ってのは、江戸時代に三重県関町(現亀山市)での神社の祭礼に使われる山車(だし)がたいそう見事で、「これ以上は立派に出来ないもの」であった事から「目一杯」とか「限界」と言う意味を「関の山車(やま)」と言う言葉で表現したのが始まりなんだそうです。

関なんて、亀山の隣町で名阪国道のICがあるって事くらいしか知りませんでしたw
加太越えを控えた小さな町で、みんなが当たり前に使っている言葉が生まれていたなんて…
ハギーさん、知ってました?
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よき実りを

2008年09月28日 22時43分23秒 | 日常

 

昨日買い物でちょいと車を転がしていたら、家の近所の田んぼで稲刈りが始まっていました。
見ると、カメラと三脚を持った地元の写真愛好家の姿もチラホラ。
恩田川沿いの田園地帯は、我が街の適当に田舎なところが一番表れている場所です。
天気はイマイチではありましたが、私もカメラを持って歩いてみました。
田んぼのあぜに咲くヒガンバナのまぶしい赤が目にしみますのう。
近代的なベッドタウンの雰囲気と、農村の雰囲気の混沌としているところが我が街の特徴。
その混沌の合わせ目を走るのが横浜線です。

  

第一次産業というのは、家族総出のものであるらしい。
小さな子供もお手伝い。邪魔しているようにしか見えなかったけどね(笑)。
刈っては干し、干しては積んで、黄金の稲穂は米となる。
泥だらけになってあぜに座り、大人に混じっておにぎりを頬張る姿だけは一丁前な子供たち。
「ムラ社会」と言うものを強く感じます。
まあ、へんしうちょの実家の近所ならなーんも珍しくない風景なんだろうけどね(笑)。

広島球場のスタンドも、秋の盛りにヒガンバナが揺れているようでしたね。
そして、とりあえず明日のダルへの挑戦権は残しました。
どちらのチームも正念場。
それぞれの秋の日に、よき実りを。

追伸:お返事いただいた方々には、厚く御礼申し上げる次第です。

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シャッターチャンスをもう一度

2008年09月28日 00時00分28秒 | 日常
最近デジカメにハマっていて困るのは、常に目の前に映っているものに関し過剰に反応してしまう事。

例えば朝の通勤時間に、乗り換えを急ぐ人の波の中で見えた一瞬。
「こう言うものはこういう構図でこう撮ればこうなって…シャッタースピードはいくつで、絞りはどれくらいで感度はどのくらいでレンズはどれにしようか」とかあれやこれやと考えてしまうのですよ。 空の色とか雲の流れ、影の長さとか光の角度、花の色とかにも異様に敏感になった。

ほとんど病気に近くなっているのだが、特に電車が近付いて来ると緊張するw
そして、無意識に架線柱を避けたいい位置で心のシャッターを切っている自分に気付くw
アホや。

閣僚が失態→野党が罷免要求→各党首がコメント→gdgdの流れはもう飽きたし、鳩ポッポ弟を筆頭に「政権担当能力がない 問責決議案を(ry」コピペでつまんねーし特に何の感想もないのだが、国連から0泊3日で帰って来たら大臣が一人ケツまくってたってそれってタロちゃんどういう内閣よw

ただ、みんな同じ事言ってても唯一福島瑞穂が言うとなんかムカつくんですけどねw
説明は出来ないんだが、共感者は多数いると思われ(笑)。
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今日は私信。

2008年09月24日 22時20分23秒 | 日常
(画像:一本勝ち)

あまりにもきれいに投げが決まったのでワロタw
完全に細川が宙に浮いとりますがなww
日本代表にスカウトされても驚かないぜ。

一部始終 その1
一部始終 その2
ナベQ必死だなww

そして細川アワレwww

大松が24号まで来たな~。
今日のもインコースのスライダーを引っぱたいたいい弾道だった。

~以下えび氏への私信~

>特に誰から打ったかは忘れたが
>2003年ヤフーBBスタジアムの対オリックス戦で放った一撃は
>いまだに脳裏にこびりついて離れない。

多分オリックスの中継ぎだった土井から放った一撃ではなかったかと。
左投手のアウトコースを全く開かず、完璧に捉えた打球。
美しい放物線を描いてGS神戸の右中間中段に突き刺さった。

「おおおおおお澤井ついに覚醒!!!!」

と自分も狂喜乱舞した記憶があるので(笑)。
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秋晴れのアニバーサリー

2008年09月23日 23時10分09秒 | 日常

(画像:100周年)

明治時代、外貨を稼いだ日本の生糸。
信州や上州、および関東で生産された生糸の集散地であった八王子から、積み出し港であった横浜の神奈川港を結ぶ目的で東神奈川~八王子間に開通したのが我が街を走る横浜線。
その開通日が1908年(明治43年)の9月23日。
と言う事で、本日我が街を走る横浜線は開業100周年を迎えました。

今日は100周年イベントを小机駅で開催。国際競技場でイベントがなければ普段は静かな小机駅に、記念グッズを求めて徹夜するヲタも出たらしい(笑)。JR東日本ご自慢のジョイフルトレインも「いろどり」「やまなみ」の2編成が横浜線に入線。あわよくば100周年を記念して作られた崎陽軒の特別弁当とか食べてみたかったんだけど、駅弁はおろか記念グッズすらも朝早くから並んでるヲタで瞬殺と言う報を聞き断念。本当だったら地元の人間に優先するのがスジってもんだろうが、まあ奴らはイナゴみたいなもんだからなあ…イベントと言うのは得てしてこういうもの。

100周年の朝、やっと天高い秋空が戻って来た横浜線界隈。
鴨居~小机間は、多摩丘陵の長く延びた尾根と鶴見川に沿って走る横浜線。
穏やかな川の水面に吸い込まれるスカイブルー。
うっすら富士の影も見えた、新川向橋から。

首都圏のあちこちの国電各路線のお古が投入される横浜線。
国鉄時代は塗り直しもせず、色まだらのままつなげて走る編成が多かった。
まだら色の電車に戸惑う乗客のために、当時の横浜線はこんな看板を付けていました。
「横浜線」と書かないと分からなかったのが、当時の横浜線。
そんな黒歴史を逆手に取った、記念看板編成です。

開業100周年を記念して、松本~横浜間を往復した「横濱ものがたり号」。
長野支社所属のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」で運行されました。
特徴ある前面マスクは、誰が呼んだか「フリーザ様」(笑)。
通過時刻は、マニアだけでなく沿線住民も家から出て来て集まる始末。
その雄姿、集客力抜群でした。

こちらは「横浜線100周年記念号」として運転されたジョイフルトレイン「やまなみ」。
全室お座敷&掘りごたつ仕様なんだってさ。線路を走る屋形船だねw
フリーザ様のインパクトに比べると地味だけど、車内では特製弁当も振舞われたらしい。
崎陽軒のシウマイファンとして、食ってみたかったw
猿払のホタテを使ってるんですよね。崎陽軒のシウマイ。

普段は毎日同じ顔した205系が朝から晩まで行ったり来たりするだけ。
そんな変化の乏しい路線に現れた役者に、沿線はカメラマンで黒山の人だかり。
まさに今日一日、横浜線は「100周年フィーバー」でありました。

コメント (2)
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