青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

夢の中へ 秋の西上州訪問記その6

2013年10月31日 23時56分00秒 | 上信電鉄

(何も聞いてなくても@南蛇井駅)

はい、日本の珍駅名では5本の指に入ってもおかしくない南蛇井駅。上信電鉄をこの駅名で知る人もいるんじゃないかなあ。もちろん狙ってこんな駅名を付けた訳ではなく、この駅があるのが群馬県富岡市南蛇井と言う場所だから。昔この辺りは上野国甘楽郡那射郷(なさごう)と言われ、また山裾に水が豊富に湧いていた事から「那射の井」→「なさい」→「なんじゃい」となったそうなのだが諸説あります。


地元のおばちゃんとお別れした直後、南蛇井交換で上下の列車がやって来る。おばちゃんと話しながらこの鳥居の天地をどうするかでしばし悩んでいたのだが、西上州の夕暮れ模様を大きい秋の青空の下で切り取ってみます。過ぎて行く秋の日、どん曇りを承知で訪れた自分に対するささやかなゴホービと受け止めた(笑)。やって来た6000系@日野ラッピングが、赤い車体を夕日に染めて。


返しは下仁田に下って行った西武新101系@ララクラッシュ編成。妙義の山から一直線に伸びて来る鉄路、架線柱の輝きの中を、淡い車体が夕日に追われるように足早に走って行きます。山と田んぼと鉄道と、材料は素朴でも一瞬キラリと光るこんな風景に、ローカル私鉄の魅力と言うのはあるのかなあと思いまする。


茜差す南蛇井駅で6000系と交換する1000系@桃源堂ラッピング。自社発注車両同士の交換と言うだけで地方私鉄では贅沢な風景と言えなくもない。上信電鉄も沿線が一気に高崎のベッドタウンとして開けた時期は、急行列車なんかも走らせていたそうで、それだけの投資効果も見込めたと言う事なのでしょうか。自社発注車だけは右ハンドルと言う上信電鉄の車両ですが、これはタブレット交換を運転席同士で行うための名残なんだそうです。左右ハンドルの混在するワンマン運転ではドア扱いも勝手が違うんで大変でしょうねえ。今度の新車はさすがに左ハンドルのようですが。

 

日中から夕方になって、車両の運用数が増えた下仁田駅。左側に止まるクハ1301を先頭にしたヨコオデイリーフーズのラッピング編成。元々真ん中に止まっている1000系は3連であったのですが、乗客減の傾向にある中で持て余し気味になり2連へ減車改造の憂き目に。そして余ったクハ1301は元々単行用のデハ252と組んで、新たに2連の編成を組成しました。一回運転台を譲り渡しているので、オリジナルの1000系とはちょこっと違う取って付けたようなのっぺり気味の表情が特徴。のっぺり感を消すためか、オデコに付けたうさぎのマークがかわいらしい。ヨコオデイリーフーズも沿線の甘楽町にあるコンニャク食品メーカーで、レバ刺し風味のコンニャクが大ブームになっているそうなw


秋の夕暮れは足早に周囲を闇に染めて行く。上信線唯一のトンネルである白山隧道にやって来た頃には、既に暗くなってしまった。唯一のトンネルで、トンネル飛び出しをやろうと思ったのだけど雰囲気的には時既に遅し…と言う感じ。さすがに撮影もこれまでかなあ、と言う事で、下仁田の山奥の温泉へ行って休憩。真っ暗な山の中でばあちゃんが一人で番をする温泉に行ったのだが「だーれもこねえから今日は閉めちゃおうかと思ってた!」だってw

携帯電話の電波も届かない山奥の湯でまったりと浮世の垢を流して、待合室のソファーに寝っ転がってたらどうやら一時間ほど夢の中…いつの間にか寝てしまったらしい。そして番をしているばあちゃんはどっか行っちゃったらしく姿を見ないし、客も一人も来ないし、これ自分が気が付かなかったら朝までそのまま寝てたんじゃねーのかと。なんたる放置プレイ(笑)。時計を見るともう7時を回っている。誰に言うともなく「おじゃましゃーした!」と声を掛け、真っ暗な山道を抜けて里に戻ってみたらヨメから「いつ帰って来るの?」と言うメールが…
ああ、シンデレラはそろそろ家に帰らなければなりませぬ。


夜の帳が降り、既に眠りについたように静まり返る下仁田の街の中で、駅だけが煌々と水銀灯の明かりを灯している。側線では既に今日は上がりとなった編成たちがお休みモード。出発を待つ桃源堂ラッピングの1000系だけが、来るとも来ないとも分からぬ客を待つ。子供向けのおもちゃがラッピングされた車体が、何だか夢の世界へ行くおとぎの国の列車のように見えなくもない。もちろん、夢の国行きの電車に乗ることは許されないのでありますが(笑)。

しばしバルブを愉しんで、帰るとしましょう。
秋の西上州訪問記、上信電鉄の旅でした。
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当たり前の風景の中で 秋の西上州訪問記その5

2013年10月27日 06時54分27秒 | 上信電鉄

(格子窓越しの駅@上州福島駅)

まあダラダラと書き進めておりますが、高崎駅から再び電車に乗って降り立ったのは上州福島駅。自分含めて高崎から下仁田はちょうど一時間かかるんだが、上州福島はその真ん中、高崎から30分くらいの駅。木造駅舎の格子窓から覗く駅の改札口は小ぶりにまとまっていて、初老の駅員が一人で番をしております。


甘楽町の中心にある上州福島駅。向かって右側に簡単な車寄せの付いた入口がある駅舎は、上信電鉄の標準的なスタイルの木造駅舎。街の中心駅と言うには閑散としていて、目立つのは駅の隣にあるマンナンライフの富岡工場くらい。駅前通りに人気はなく、一緒に電車を降りた女子高生は迎えのお母さんのクルマでさっさと家へ帰ってしまった。こちらは別に上州福島駅に何らの意図も持たず降りてしまったので、しばし音のなくなってしまった駅前で呆然とタバコを燻らせてみる。


とりあえず上州福島から線路沿いに甘楽の街を歩きながら、上信線の撮り歩き開始。…とは言え、この辺りは住宅と畑が混在する典型的な北関東の郊外と言う風景しか拡がっておらず、悲しいかなこれと言ったポイントはなさげ。畑と家の間の小道を上信線に沿って歩いていると、踏切が鳴って下仁田方から電車がやって来た。ススキの穂に混じってこの時期ブタクサの黄色が目立ちますが、ともあれ元西武801系のシマウマ編成@群馬サファリパークラッピング。♪ホントにホントにホントにホントにライオンだ~と頭の中で串田アキラが歌い始めてしまうのだが、それは富士サファリパークだって。


甘楽町と富岡市を隔てる鏑川の鉄橋で元西武401系@人権ラッピング編成…分かりにくいのでどうしても元の型番で呼んでしまうのだが、上信電鉄では150形を名乗っております。ちなみにさっきのシマウマ編成も150形。見た目は全然違いますけど。ガワは違ってもモーター他のスペックが同じなので、形式として同一と言う事になっているそうです。


トンガリ屋根の無駄にメルヘンチックな東富岡駅で元西武101系@ララクラッシュ編成。上信では500形を名乗ります。電車なのにクラッシュとはぞっとしない。のだが、商品名なのでしょうがない。一時期コンニャクゼリーが喉に詰まって窒息死する事故が社会問題化して、当時の消費者庁大臣だった野田聖子が「コンニャクゼリーは危ないので製造中止ね」と言い放ったのをご記憶の方も多いのでは。アタクシは「そんな事言うたらマンナンライフ死んでしまうやろ!」と思ったのだが、その対策のために喉に詰まりにくいクラッシュタイプを作ったマンナンライフ。えらいね。コンニャクゼリーを目の敵にするんならよっぽど餅を製造中止にした方がいいんじゃねーのかと思ったもんだが、とりあえず「野田聖子乗車禁止」ってドアステッカーでも貼っといて(笑)。


とりとめのないような風景の中を上州富岡駅まで歩き切り、車を回収して下仁田方面へ流してみる。上信線を撮るにはやっぱり千平から下仁田にかけての風景がよろしかろうと言う事でカーナビを頼りにスポットを探るのだが、細かく線路に寄れる小道を見つけ出せるという点でカーナビって便利だなあ(笑)。「地図を見る力が落ちる!」と言う理由でアンチカーナビを公言していたのだが申し訳ございませんって感じだね。山に続く小道から山間のストレートを行くクハ303+デハ251@人形処かんとうラッピング編成。ラッピングがゴチャゴチャし過ぎて何の広告なのか分かりづらいのが難点(笑)。この編成は異形式がくっついた編成なので、ラッピングは共通ですが高崎側と下仁田側でカオが違うようです。


千平の里をさっき鏑川で会った人権ラッピング編成が走って行きます。お堂の桜の木も少し色付き始めて、トーン暗めの曇りベースがしっとりとした日本の山里っぽく…人権ラッピング編成に限らず、上信の電車はだいたい下仁田側が前パンなので、下仁田行きを撮る場合は編成を全部撮りしなくても構図的にしっくり来るのがいいね。前パンは正義。


千平の里で時刻は午後3時を過ぎ、日中は1時間間隔の電車が夕方からは30分間隔になるチャンスタイム。何だか空も明るくなって来たようなので、光線を求めてウロウロしていたら、神農原付近の田園地帯に出た。西上州も稲刈りは終盤戦、家族総出で刈り取りの中をララクラッシュ編成。ララクラッシュには何種類か味があるのだが、このラッピングはメロン味って事なんかね。


「今日は一日どん曇りですよ」と言われて来たのだが、夕方になって西の空から日射しもこぼれて来た。角度のある秋の夕方の光に、稲穂が黄金に染まる。独特な稜線を見せる妙義の山々をバックに構図を決めてみると、雲間からこぼれる光の中を人権ラッピング編成がやって来た。今日はこの車両によく会いますな(笑)。


予報に反して、すっかり晴れた秋の空。宇藝神社と言う神社に続く参道の鳥居をモチーフに構図を考えていると、自転車に乗った地元のおばちゃんから声を掛けられる。「今日は何か珍しい電車でも来るの??」…このセリフ、どこに行っても尋ねられる王道パターンなのだが、アタクシとしてはどっちかってーとローカル私鉄の日常を拝見しに来ている訳で、普段通りがいいんですよ。地元民からしたら何の変哲もない当たり前のような一日が、こちらにとっては新鮮であり興味深い。立ち位置の違いによる日常と非日常のギャップですね。

ひとしきり話を続けてしまったのだが、ダンナもカメラが趣味でヒマな時は上信電鉄を撮って楽しんでいるそうだ。お気に入りは、去年の秋まで500形に施されていた「銀河鉄道スリーナイン」のラッピング編成だったそうなのだが、ラッピングも終わった今は他の被写体を求めるもあまり遠くに撮りに行けない事をグチっているらしい。「自営で仕事をしてるからね~」って理由らしいのだが、どこの亭主も変わんないのね(笑)。

「じゃ、いい写真撮ってね、ごゆっくり」
参道の踏切をおばちゃんが通り抜けると、踏切の警報機が鳴り始めました。
続く。
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旧きを訪ね新しきを知る 秋の西上州訪問記その4

2013年10月26日 18時50分25秒 | 上信電鉄

(鉄道の街の秋祭り@高崎鉄道ふれあいデー)

八幡宮の参拝を終え、再び山名から上信線に乗車。高崎商科大前、根小屋を過ぎ烏川の鉄橋を渡ると家並みが線路に近付いて来る。佐野信号所で上越新幹線の下をくぐると、住宅街の中にある南高崎を過ぎて右からJRの線路が近付き、終点の高崎に到着。おや、なんかJRの側線でイベントをやっているようで黒山の人だかり。朝から何にも食べていないので、改札を出たところにある高崎駅名物「たかべん」のラーメンで腹ごしらえ。ちなみにこのラーメン、ホームの立ち食いで出しているラーメンにしては醤油スープ&細麺の正統派東京ラーメンと言う感じで380円にしてはそこそこ美味しかったりする。


駅のコンコースを歩いて東口に出てみると、みんなぞろぞろと新幹線の高架下に向かって歩いて行くのでその流れに乗って行くと、この日は「高崎鉄道ふれあいデー」と言うイベントが開催されていた。高崎駅の側線の一角を仕切って、どどんと高崎の誇る名車群を展示しちゃいましょ、物販もやっちゃいましょ、特製の駅弁も売っちゃいましょ、まあ簡単に言うとそう言うイベントの様子。ホントだったら高崎で上信の車庫でもぼんやり眺めて、また上信線を撮り歩きながら往復してみようかな~と思っていたのだけど、せっかくのイベントなのでちょっと参戦してみる事に。


上信電鉄をメインの肴に据えて出て来たまったりムードの自分には、まずこの黒山の人だかりが何をかいわんやと言う感じなのだが(笑)、まーJR系のイベントとなれば集客力が違うっすね。それとヲタに混じってパパ鉄ママ鉄の多さが目を引きます。とりあえず物販ブースは後回しにして展示車両を見に行ったら、おお~さすが伝統の高機(高崎機関区)、シロクイチ&デゴイチをカマ焚きでスタンバイじゃないですか。ヲタは一眼でSL、パパママはスマホで子供とSLを収めるのにそれぞれが必死なのであります。

  

左がシロクイチ、右がデゴイチ。復活してからのシロクイチって恥ずかしながら初めて見たんですが、いやあさすがに動輪がデカイ。大井川のC11とかC56を基準とすれば、秩父のC58ですらデカイなあと思っていたのだが、それをはるかに凌ぐ重厚感はさすがに急客機と言う感じです。正直SLに関してはそこまでの知識ございませんけど、東北本線の仙台以北で「ゆうづる」や「はくつる」を引っ張って、みちのくの難所十三本木峠を越えて行った歴戦の勇者たる風格を感じます。産まれる前に亡くなった祖父は仙台でSLの機関士をやっていたそうなので、ひょっとしたら乗務した事もあるかもしれないなあ…それにしてもデゴイチともども烏の濡れ羽色とも言うべきピカピカに磨き込まれてイベントに参加しており、露出が難しいのなんのw

  

そしてSLの奥に鎮座ましますは高崎の至宝、鉄道文化遺産ともいうべきEF55に、ブルトレ世代が泣いて喜ぶPトップことEF65501!両雄と比べて華には欠けますが、日本の物流を陰で支えたEF60の19号機とともに、どちらかと言えばSLよりこっちの方がアタクシ的にはアツイ並びだなと(笑)。特にEF65501ね。小学館のコロタン文庫「ブルートレイン大百科」シリーズで育った30代後半にはどストライク。貫通扉の1000番台もいいけど、はやぶさ・さくら・みずほ・富士・あさかぜ・瀬戸・出雲…朝の根府川を駆け上がって行く写真が懐かしく思い出される、東京口ブルトレのスターでしたからねえ。

  

各々のご尊顔をタテ位置で。
片方のエンドにしかないEF55の独特の流線形、日本の機関車と言うよりスペインのタルゴだとか、そー言うヨーロピアンな雰囲気を感じさせる風合い。愛称はムーミンと言われりゃさもありなん。昭和11年鉄道省製、昭和39年に廃車となるものの昭和61年に動態復活し、ほんの3~4年前まで普通にイベントで走行するシーンもあったとか。高崎支社は本当に鉄道に関する意識が高いと言うか、文化財的なものを大事にしてくれるイメージがある。それが碓氷峠鉄道文化むらだったり、デゴイチやシロクイチの復活だったり歴史ある名機たちの保存に繋がっているんでしょう。

 

イベントの喧騒を抜けて、上信電鉄の高崎駅に戻って来る。
上信線の高崎駅には車庫が併設されており、今日は出番のない編成や事業用車両が留置されているのですが、その片隅に上信電鉄のシンボル的な存在であり、「上州のシーラカンス」ことデキ1が留置されている。ドイツはシーメンス社製の電気機関車で、製造は大正年間の古典凸型電気。貨物営業は廃止されてしまったので一線から引いてはいるものの、今でもバラスト散布やイベントの際にはその姿を見る事が出来ます。隣に留置された200形は旧世代の上信の主力車両と言うべき存在で、素っ気ないデザインの鋼体車両が逆に味わい深いのだが、冷房が付いていないと言う致命的な部分があって廃車が進んでいる形式らしい。


去る車両あれば、来る車両あり。上信電鉄では今年度と来年度に2編成の新車を導入する事が決まっており、検修庫の中ではありますがその顔を見る事が出来ました。パッと見た感じはつくばエクスプレスのTX-2000に京急の新1000を足したようなハニワ顔ですねえ。7000形を名乗るこの車両は新潟トランシス製の自社発注車。これも富岡製糸場の世界遺産登録事業の一環で、車両の導入自体に補助金が出てるとか何とかって話ですけど、地方私鉄の厳しい時代に未だに自社発注車が入って来る事自体が素晴らしいと言わざるを得ませんなあ…

  

上信電鉄の車庫の見学を終え、再び高崎駅から旅に出る事にいたしましょう。
11時半の下仁田行き電車は、元西武新101系@ララクラッシュ編成。ララクラッシュと言うのは「蒟蒻畑」でおなじみのマンナンライフが発売している商品の一種であるそーな。「♪マンナンライフの蒟蒻畑」と言うキャッチーなCMで、群馬県の企業の中でも知名度は全国区の会社だよなあ。下仁田名産のこんにゃくを使ったこんにゃくゼリーのトップメーカーであり、本社は富岡市、工場は甘楽町。上信電鉄沿線の最大スポンサー企業なのではないでしょーか。

イベントで並べられたシロクイチ&デゴイチのコンビが、大きく汽笛を鳴らす音が聞こえる高崎駅0番ホーム。
黒煙の香りが鼻をくすぐる中を、下仁田行きが発車です。
続く。
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離れても 家族を思う 旅路かな 秋の西上州訪問記その3

2013年10月21日 17時42分44秒 | 上信電鉄

(歌詞はいいけど、曲は?@山名駅)

高崎行きから降り立ったのは、高崎から数えて4つ目の山名駅。駅に降りてまずは待合室で缶コーヒーを一本。bossを飲みながら待合室の壁に貼られた↑のような謎の歌詞を見付ける。…歌詞はいいけど、曲が全く分からないぞ(笑)。歌詞の内容は、根小屋から通学して来る小学校の生徒の安全を願うおばはんの気持ちが綴られております。山名は上信で高崎駅まで15分くらいの位置にあって、駅の周りもそれなりに住宅街のようですが、少子化による小学校の統廃合が進めば電車通学の小学生ってのも増えて行くんでしょうね。

 

山名駅の裏手には、山名八幡宮があります。この一帯を治めていた源氏の一族である新田氏を祖とする山名氏が創設した神社で、応仁の乱で名前が出て来る山名宗全を輩出したのがこの上州の山名氏であるそーな。応仁の乱って1467年だっけ?「いよむな(1467)し応仁の乱」と覚えた記憶が(笑)。応仁の乱で弱体化した足利氏の衰退により世は戦国時代に向かって進んで行った訳だが、その引き金を引いた山名宗全と言う事か。

 

少し鉄道から離れて、石段を上り本殿に参拝してみる。この山名八幡宮、安産や子育ての神様として祈願に訪れる人が多いそうで…アタクシも趣味から離れれば二人の子供の父親と言う事もあり、山名の神様に子供たちの健やかなる成長をお祈りしてみたりする。参拝が終わって振り返ってみれば、石段を上って来るお宮参りの家族連れ。初宮参りか七五三か、いずれにしろ微笑ましい風景ではあります。


八幡宮の山門の向こうを、上信線の電車が走って行く。鳥居にかけられた太い注連縄と、山門を額縁にして一枚。よく見ると、線路の下の地下道を通って羽織袴の子供が一人、通過する電車に向かって手を振っているではないか。いつの世でも男の子と言うのは電車が好きなんだな、と改めて思った瞬間。そして、写真と言うのは一期一会だなあと思う。


さっきの羽織袴の男の子が、両親と祖父母に囲まれて階段を上って行ったのを見届けて、山名の駅に。
離れても家族を思う西上州の旅は、高崎行きのシマウマ編成に乗ってまだまだ続くのであります。
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終着駅の一つ前 秋の西上州訪問記その2

2013年10月20日 06時24分49秒 | 上信電鉄

(赤津信号所@車内より)

下仁田と千平の中間点にある赤津信号所。交換する電車がない場合は直線側をスルーするスタイル。上信電鉄にはこの他にも南高崎~根小屋間の佐野信号所、西吉井~上州新屋間の新屋信号所と計3つも信号所があるんです。増発に伴っての交換設備の増強のためなんでしょうが、結構多いよね。ちなみにこの赤津信号所では昭和59年に信号の見落としによる正面衝突事故が発生していて、死者1名負傷者132名を記録する惨事となってるようです。被害の数字から思うのは当時の乗客の多さだなあ。昭和59年には年間475万人を輸送していた上信線の平成22年の年間輸送人員は220万人だそうで、当時の半分以下になっちゃってるもんなあ。


さて、小雨そぼ降る千平の駅前から歩き出してのひとコマ。最近汽車のマークのこの踏切標識ってあんまり見なくなりましたよね。まあ群馬だとSL走ってるトコもあるから上越線ならあながち間違いではないが、ここにはSLは来ません。結構この辺りの上信線の軌道ってヘロヘロなんだが、デゴイチなんか入線したら速攻で動輪がバラストにめり込んで脱線しちまうだろうな(笑)。

 

駅から徒歩5分くらいで、鏑川が刻む「不通(とおらず)渓谷」を見渡す橋の上に出る事が出来ます。「不通」と書いて「とおらず」とは思わずレ点を打ちたくなる漢詩読みだね。緑の水が美しいです。切り立った岩肌の渓谷はさすがに紅葉の気配はほんの僅かにあるかないか…と言う程度の感じですけど、あと1ヶ月もすればきれいな紅葉が見れるんだろうね。この渓谷の橋の上から渓谷を絡めて上信電鉄を撮れるようなのだが、いかがなもんざんしょ。ネタもなけりゃ朝早くこんなところで撮る人なんかまーったくいないのだけども、時折通る軽トラに乗った地元民に珍獣を見るような目で見られながら構えてみますw


渓谷の深さが結構あるので、上手く収められる構図と言うのがギリギリで難しい。暗い渓谷と線路を合わせるには露出がかなり違うので試し撮りを何枚か…これ、朝からピーカンだと光の角度的には渓谷に光が回らないはずなので、線路と渓谷の露出差が出過ぎちゃってお手上げかもしれませんな。どん曇りが幸いしたとも言える。また、こーいうロケーションの場合、雄大な渓谷を取るか、車両を取るかで意見が分かれます。景色を雄大に見て車両を小さくすれば鉄道写真としてのインパクトに欠けちゃうし、車両をメインにすれば雄大な渓谷は入りません。自分の場合は風景を先に見て車両を添えるイメージの広角構図が好きなので前者を選択する事が多いんだけど…遠くの踏切の音が聞こえ、やって来たのはさっき下仁田に止まってた1000系の高崎行き。半信半疑でシャッターを切りましたが、上信らしい車体の派手なラッピングのせいで、大きな風景の中でもしっかり列車の存在感が出てくれました。


次の下仁田行きはさっきの高崎行きと南蛇井で交換して来る5列車。今度はタテ構図で構えてみましたが、やって来たのは上信ラッピング軍団でもその派手な事はナンバーワンとも言える日野自動車ラッピングの6000系。幽玄な渓谷の上を飛び越えて、終点下仁田に向かいます。1000系のデザインも斬新ではありますが、この6000系のデザインも鉄道車両ではオンリーワンとも思える独特なものがあります。



そんな独特のマスクを愛でに、不通渓谷を後にして千平駅下仁田側カーブへ。下仁田からの返しの6000系をここで待つ事にいたしましょう。静かな山里に、遠くから車輪をカーブに軋ませる音が聞こえて来る。下仁田発高崎行き13列車が、深森のカーブを抜けて千平駅へ。丸型の四つ目にフロントグリル、ピラーレスの大型窓、そして燦然と輝く日野のエンブレム(笑)。電車なのにこうも自動車っぽい車両も珍しい。日野と言うよりは一昔前のマツダの「タイタン」に似てるような…


小雨の中を千平駅へ。駅のホームの片隅に植えられた柿の木に残り柿がひとつ。前パン2丁を振りかざし下仁田行きの第9列車は旧西武801系@群馬サファリパークラッピングのシマウマ模様。朝に上州富岡駅に滞泊してた編成ですね。上信電鉄自体は独立した企業ですが、こと車両に関しては自社発注以外は西武の車両を譲り受けるのが通例となっているようで。徹底したラッピングぶり&西武系列の車両=先日訪問した近江鉄道とかぶる部分が多いです。地方私鉄の現状は、旧東急車VS旧西武車と言う感じなんでしょうかね。西武の場合は101系も701系も3扉車と言うのが使い勝手がいいのかな。


下仁田でシマウマ編成と交換して来た高崎行き第20列車は元西武401系@人権ポスターラッピング。なんか近江でも人権問題ラッピング車を見たような気がするのだが、あれは人権じゃなくて検診だったっけ?ともかくイナカに行くほどこの手の人権問題が多いと言う事なのだろうか…車内にトレインビジョンよろしく小さな液晶モニターがついてて、ひたすら人権に関する啓発をし続けているってーのもちょっとアレだなあと(笑)。沿線の観光情報でも流してくれた方が…と部外者は思うのであります。

小雨に濡れる千平を後にして、一路電車は高崎へ。上州富岡から先は徐々に乗客も増え始め、立ち客も出る状態。東富岡、上州新屋、上州福島、西吉井、吉井と西上州の平野をほぼ真っ直ぐに走って行く電車。直線部分が多いのでそれなりにスピードを出すのだが、割とロデオ状態が楽しめますwあとでよくよく見たら、台車が国鉄のDT21型と同形の住友FS342じゃないですか!弱い軌道にコイルバネの台車じゃそらそうなるわな。

吉井からやや北東に進路を取り、鏑川を渡って馬庭、西山名、山名。
ずっと高崎まで乗っててもしょうがないので、そろそろ降りてみましょうか。
続く。
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