青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

クイーンの終の棲家

2016年08月30日 22時22分04秒 | 阪急電鉄

(夏の古都、蒸暑の午後@阪急嵐山駅)

さてさて、長きに亘った富山のお話を少し巻き戻して、今度は7月の終わりのお話。京都の鉄道博物館に行って来た際、まあ旅行会社のツアーだったんで、嵐山で昼食を兼ねた自由散策の時間があったんですね。嵐山散策って言われたので最初は嵐電でも乗って来ようかと思ったんだが、そこまでの時間はない。嵐山公園の近くのメシ屋でメシを食って、じゃあ余った小一時間で何しましょうとなったのだが、そんな半端な時間を使ってクイーンにお会いして来ました。


はい、阪急のクイーンこと元京都線特急専用車両の6300系。去年のGWだったかな、梅田の駅で「京とれいん」として6連で働いている姿はお見受けしましたが、その他の残った編成は4連改造されて現在は嵐山線で桂~嵐山間の機織り運用に就いています。相変わらず前照灯の飾り帯がチャームポイントの、端正な気品あるお顔である。短編成化されても、2ドアでも、嵐山線程度の輸送量なら特段問題はないのでしょうね。


阪急らしい落ち着いたオリーブのモケットと、木目調の化粧板。嵐山線投入に際し、車内外ともリフォームされているのですが、あれ?と思った方は阪急電車にお詳しい方ですかね。阪急車の特徴とも言える日除けの鎧戸が普通のロールカーテンに変わっているではないですか…。あの鎧戸をガバッと下から引き上げるのが関西っぽいと勝手に思っていたんですけどねえ。あと、全部乗り通しても10分くらいの短区間運用ですから、クロスシート部分は縮小されてしまったようです。


嵐山から1つめの松尾大社までものの3分程度、つかの間のクイーンとの邂逅。なんせツアーの合間の自由行動だけにとんでもなく慌ただしい(笑)。それでも子供の頃からの憧れの関西私鉄の名車両に乗れたので満足だ。子供にも「これがお父さんが子供の頃の阪急の看板車輌だったんだよ!」と教えてあげたのだが、どうでしょうね。ほぼ私と同年代の車両でもあるんですが。


松尾大社は「お酒の神様」として酒造会社などから篤い信仰を得ており、1300年以上の歴史を持つ京都の歴史ある神社。嵐山への折り返しは6451編成、連結器回りがスッキリしていてさっき乗った編成よりも自分のイメージに近いです。現在6300系は嵐山線用に4連の3編成が残っているようなんだけど、4+4で手を組んで走る事とか出来るのかなあ。イベントとかでもいいから、8連で京都線を再び爆走するシーンを見てみたいもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また再び、鉄の国越中

2016年08月28日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(アルペン特急、温泉街を後に@宇奈月温泉~音沢間)

さて、半月に亘りましてつらつらと更新を続けて来た富山旅の結末をそろそろ付けましょうかねえ。まあ2泊3日だったんでね、画像の枚数としたらまだまだありますけど、いつまでも続けていると秋になってしまいそうなのでこの辺りで残りの画像を適当にパーッと貼っておしまいにしたいと思います。宇奈月温泉の客を、そのまま立山黒部アルペンルートへ連れて行くアルペン特急レッドアロー。

  

 

  

  

ほれほれ。テキトー。ペタペタ。富山と言えば鉄道も楽しいですけど、やはり海の幸も美味しいですなあ。泊まった宿でひっさしぶりに船盛りとか出て来てヨメさんと大喜び。しかも部屋の真横に旧北陸本線(あいの風とやま鉄道)が通ってるもんだから、部屋の窓を開けたら線路という理想的な部屋だった(笑)。北陸新幹線が開業してから3セクに落ち、すっかり寂しくなった日本海縦貫線。ちんまいDCがビューンと通るだけでは複線電化を持て余し気味でしたが、たまにレッドサンダーが轟音を立ててコンテナ貨物を牽いて行くのは大迫力。トワイ北陸日本海、はくたか北越能登きたぐにの時代に泊まりたかったわあ…なんて思いつつ、夕日の沈む日本海を見ながら温泉に浸かる。ってか、そいつらついこないだまで走ってたんですけどねw

  

  

   

地鉄。いいよなあ。どう切り取ってもいい。100km近い総延長を持つ地方鉄道の雄、2回目の訪問でしたがまだまだ掘り下げる余地があると思うよなあ。富山駅界隈の現代的な再開発と、未だ開業したまま残るレトロの魅惑的な混在。立山の方とか、滑川のあたりとか、まだ見てないところはたくさんあるのでねえ。地鉄以外でもライトレールとか、万葉線とか、越中富山は鉄の国だわな。


ほのかに稲穂が色づき始めた散居村の風景を、岩峅寺に向かって登るカボチャ京阪。たぶん季節ごと、私の知らない魅力が詰まっているものと思われる。あと2回くらいは来たい。次は雪の積もりまくった冬か。富山の冬なんかカンジキとか持って来ないと太刀打ち出来なさそうだよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥黒部小散策

2016年08月27日 17時00分00秒 | 黒部峡谷鉄道

(鰻の寝床@欅平駅)

縦に長い欅平駅の全景。手前が出発ホームで、奥が降車ホームですが、最大が13両編成となかなか長い黒部峡谷鉄道の編成ですから、乗る場所によっては出口まで結構歩かされます。有効長の長いホームの上にかかる屋根は鉄パイプとプラスチックの波板の簡素な作りですが、たぶん冬季休業中は取り外しておけるようにあえて仮設っぽくしているんだと思われます。中途半端に常設の屋根を作っても、雪でぶっ潰されるのがオチ。


鉄筋コンクリート製の頑丈そうな欅平駅。1Fには乗り場とお土産屋、2Fには食堂と展望台があります。黒部峡谷探索のベースキャンプ的なこの駅から、登山客はさらに黒部の奥を目指して峡谷沿いの道を歩いて行きます。この欅平駅から続く「日電歩道(水平歩道)」という登山道は、黒部峡谷の断崖の中腹に付けられた僅かな幅の道で、足を踏み外せばあっという間に数百メートルの滑落を余儀なくされる超上級者向けの恐ろしい登山道。もとより黒部の奥地を開発するために、当時の日本電力株式会社(関電の旧会社)が切り開いた道ですが、まとめサイトとか見るだけで股間が縮み上がるレベル(笑)。


とてもじゃないがそんな黒部の奥地に向かって分け入る勇気もないので、帰りの電車の時間まで欅平駅の周辺を散策する程度に留めておきます(笑)。駅から階段を降りて、黒部川の河原に出てみました。河原から見上げるのは欅平のシンボル奥鐘(おくかね)橋の赤いアーチ。ネーミングが億のカネみたいで何だか縁起が良さそうだ。

 

河原には、上流の祖母谷(ばばだに)から引かれた温泉の足湯があってちょうどいいヒマつぶしになります。石鹸水のような白濁した泉質はかなり濃厚な焦げた硫黄臭を放っており、いかにもキキメのありそうな雰囲気。少し足をつけるだけでも結構ポカポカと温まってあっという間に額から汗が滲んでくる。温まったら隣には黒部の清流が待ち構えており、これはこれで真夏にも関わらず身を切るように冷たいのであった。

  

奥鐘橋からの風景。欅平駅の下にあるのが昭和14年に作られた黒部川第三発電所で、前述のとおりここに仙人谷ダムで取水した水を導水路で引き込んで発電している。奥には戦後に増設された新黒部川第三発電所も見えますね。欅平駅から奥鐘橋を渡ると山の岩壁を穿った「人喰岩」と呼ばれる桟道を通って名剣温泉・祖母谷温泉方面へ道が続いています。こちらは日電歩道ほど危険ではなく、普通に歩いて行ける道です。


小一時間の欅平散策を終え、駅の土産物屋を冷やかしたりしつつ帰りのトロッコ電車。窓付きの特別車のみの編成です。この特別車は、ただ窓が付いているというだけで特別車料金が一人500円かかるという詐欺的な車両。一般客車で味わえる開放感もなく、わざわざトロッコに乗る意味を否定するような車両なので、正直言えば有用なのは雨の日かそもそもトロッコ電車に興味のない人間くらいなもんだろうな。


なのになんで特別車のみの列車を選んでしまったのかと言うと…ちょうどいい時間の列車がなかったからとしか言いようがない(笑)。編成が短いのと、山を降りる列車のせいかカマが重連じゃなかった。まあ特別車編成の人気がないので、乗客の重量がさほどでもないのもあるかもしれないな。さすがに復路の1時間20分は子供も飽きたのか旅の疲れか眠ってしまったのだが、背もたれのない一般客車ではなかなか寝づらかったろうからそれだけは良かったかなw
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文学を 黒部の谷に 眠らせて

2016年08月26日 23時08分24秒 | 黒部峡谷鉄道

(黒部唯一の凸型電機@欅平駅)

欅平の駅で入替に活躍している凸型電機EDS13。箱型電機全盛の黒部のカマの中では唯一残る凸型電機らしい。箱型電機のキャブも決して広くなさそうだけど、凸型のキャブの狭さはこんなところに閉じ込められたら発狂しかねないレベルだと思う(笑)。ナローゲージの規格のため、小ぶりの車体ですが台車がとにかくでかくて図体の半分くらいが台車のように見えます。勾配での粘着力を出すには台車にそれなりの重量がないと貨物なんか牽引出来ないんだろうね。

  

定期列車の合間を縫ってやって来る、工事用列車のお相手が現在の凸型電機の役割。ウナギの寝床のような欅平駅の構内を行ったり来たり。我々が乗ってきた列車の乗客はとうに改札口の方に向かってしまっていたので、操車係がステップに箱乗りしながらの入れ替え作業を見学しているのはウチらの家族だけであった(笑)。頻繁なエンド交換をする入れ替え作業には、前後の見通しの良い凸型電機が圧倒的に効率がよさそう。


奥の引き込み線から何やら変わった形の箱が乗った貨車を引き出して来た凸型クン。何だかゴミ置き場に置いてある箱みたいだなと思ったら大正解。これは黒部峡谷の観光地や作業場で出たゴミを麓の宇奈月の街まで降ろすためのゴミ収集貨車で、「峡谷美人号」と名前が付けられている様子。想像を絶する自然が立ちはだかる黒部峡谷は、何をするにもこの鉄道が唯一の生命線になります。


深山幽谷人跡未踏の黒部峡谷に、本格的な開発の手が伸びたのは昭和初期のお話。日本が帝国列強と肩を並べるために、急速な工業化と軍需産業の発展を押し進めるためのエネルギー源として、峻険な黒部谷を水力発電の拠点とせんがためでありました。黒部第三発電所への導水路として、上流の仙人谷ダムからここ欅平までの間で行われた隧道工事は、150度を超える高熱の岩盤を掘り抜くという苛烈を極める難工事。300人を超える犠牲者を出しながら、2年半をかけて開通したその工事を巡る異様な姿を描いたのが吉村昭の「高熱隧道」。この小説はあまり本を読まない自分が珍しく何回も読み返すくらい好きなんだよねえ。

ちなみに吉村昭が「小説新潮」に寄稿した際の生原稿と万年筆が、欅平駅の待合室に展示されています。あんまり観光客の人は関心なさそうで見てなかったけど、アタクシ静かに感動してしまいましたねえ。ドキュメンタリーとして不朽の名作だと思うんだよなあ。まあここであれこれ感想を語るのも野暮だから、ぜひ読んでいただきたいとしか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夏に涼の黒部谷

2016年08月22日 19時30分00秒 | 黒部峡谷鉄道

(紺碧の水湛え@宇奈月ダム)

宇奈月を出て黒部川の渓谷を新山彦橋で渡ると、右側にはうなづき湖の紺碧の湖面が広がります。光の加減もあるんだろうがすげえ色だ。確か井川線に乗って井川ダム見に行った時もこんな色をしていた記憶があるのだが、トロッコ列車とエメラルドグリーンのダム湖は相性がいいのだろうか。


黒薙温泉の最寄り駅、黒薙駅。車窓から黒薙川の谷を後曳橋で渡るの図。出来ればこの構図は車窓からでなく、駅のホームからしっかり固めて撮ってみたいもの。駅から20分の黒薙温泉は麓の宇奈月温泉の源泉で、宇奈月で使われる温泉はここからパイプで送湯されたものである事はあまり知られていない。ちなみに黒薙から温泉を引く送湯管を敷設したのは、現在の富山地方鉄道の電鉄黒部~宇奈月温泉間の前身である黒部鉄道で、黒部鉄道自体も東洋アルミナムというアルミの電気精錬と黒部川の電源開発を主目的に設立された会社の子会社でした。北陸得意の「電源開発&需要者としての鉄道&大工場」と言う産業振興メソッドですね。


猫又駅の近くにある黒部川第二発電所と、サンナビキ山に続くねずみ返しの大岩壁。車窓に続くのは、眺めるのも首が痛くなるような高みに切り立った黒部の峻嶮と、真夏にもその冷たさが伝わって来るような黒部川の清流である。日差しは強く暑い日でしたが、トロッコ電車はトンネルの中の涼しさが嬉しいよね。

  

猫又駅での交換風景。黒部峡谷鉄道は、宇奈月から少し先のダム湖までは並走する道路があるものの、そこから先は人跡未踏の断崖絶壁にに阻まれた峡谷を行くため、列車の撮影場所と言うのは相当に限られる。一般の人間は黒薙・鐘釣の両駅以外途中下車も許されていないので、黒部谷を走る列車の撮影は乗車しながらか、黒薙駅周辺に僅かに撮影スポットがあるだけ。


東鐘釣山と西鐘釣山に挟まれた、錦繍關(きんしゅうかん)と呼ばれる峡谷。秋の紅葉の頃はそれこそ錦織為す素晴らしい情景が広がるのだそうだ。そう言えば、この先の鐘釣には「黒部の万年雪」と言われる夏でも消えない雪渓が車窓から眺められるのだが、冬期間の雪が少ないのと昨今の地球温暖化のせいか、雪渓が消えていた。


観光鉄道でも工事列車を含めると列車の本数は多く、駅ごと交換のシーンがある。1面1線の黒薙駅以外の全てが交換可能駅で、夏休みと言う事もあって線路容量目いっぱいのダイヤを組んでいる様子。乗務員の皆様もフル回転である。特にトロッコ車輌はオープンエアーで窓がある訳でもないし、列車を離れれば安全の保障は出来ない黒部の厳しい大自然の中。客扱いをしない駅でも全部の列車が停車するので、勝手に降りちゃう観光客の監視などを含め神経を使うところでしょうな。


宇奈月の駅を出て1時間20分、深山幽谷はいよいよ極まれりと言う感じで終点の欅平駅へ。長時間の乗車で子供たちが退屈するorヨメさんが文句を言いだすかと思ったのだが、とりあえずそれはなかったのが幸い(笑)。一般乗客が乗って来れるのはここまでですが、この先も立坑のエレベーターで繋がった上部軌道(関西電力黒部専用軌道)が黒四ダムの発電所まで続いています。欅平の駅は、手前と奥で最大13両の編成を2つ分収容する長い長いホームが特徴で、奥のホームの外側に機回し線が付いている変則的な構造をしている。まあ土地の形状からして横には広げられないので、伸ばせるだけタテに伸ばしたんだろうね。到着列車は奥の降車ホームに入り、その後に機回し済みで待機していた編成が手前の出発ホームに入って来るスタイルです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする