OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

ノスタルジック東京27~文京区白山・花街の名残り~

2019年08月28日 | ノスタルジック東京

文京区白山一丁目、本郷から下ったあたりの一角。

逆の白山駅からだと白山通りと並行する1本左側の通り(商店街?)から路地へ入る。
そのエリアに、明治の女流作家樋口一葉の「にごりえ」の舞台となった花街跡があります。
あるといっても、近年解体や改装が進み、僅かに遺構が残るのみですが。

実家が本郷にあった頃、父のお使いで白山の製本屋さんに時々来ていました。
(自営の印刷業を手伝っていた時期があった)
その頃はまだ風情のある木造建築があちこちにあり、花街の名残りが色濃くあったと思われます。
ただそれを知る訳もなく、白山が花街・三業地だったことを知るのは随分とあとになりました。




白山はかつて小石川区指ヶ谷町という地名で、
明治時代には銘酒屋が立ち並ぶ私娼街だったそうです。

そして明治45年に、私娼街の排除と地域の更なる活性を求め何年も尽力した方々により三業地指定を得たそう。
政府公認、三業地とは、、、
置屋(芸妓を抱え見番の呼び出しに応じてこれを派遣する)
料亭(料理の調理・提供を本業としつつ客室に芸妓を呼び寄せて客を遊ばせる)
待合(料理を取り寄せ,芸妓を呼んで客を遊ばせる)
の三業が集まって営業が許可された地域のことで、警察の許可が必要とされる特殊地帯でした。
明治5年の芸娼妓解放令の翌年から、東京では一定の区域外には芸妓置屋・待合・料亭の営業は許可されなくなった為
ネット論文から抜粋)

大正9年頃には置屋96軒、待合59軒、芸者数348人が在籍した記録が残っているそうです。
昭和33年赤線含む公娼制度が完全廃止、昭和55年に白山花街は終焉を迎えました。


戦災を免れたので、その遺構や痕跡も大分残っていたみたい。

でもちょっと知ったのが遅かった。昭和の終わりから平成の半ばまで本郷にいたから、あの頃聞いていれば・・・
それでも名残を求めて6月初めに歩いてきました。




最初の画像、黒板塀が目を惹く木造2階建ては「濱乃家」という料亭だったそうです。
ピンぼけだったので載せませんが料亭の鑑札が貼ってありました。





2階の手すりに屋号の透かし彫り。
窓の意匠も凝っています。





玄関の引き戸にも屋号。



逆光でうまく撮れませんでしたが、商店街の通りから来るとこのように出会えます。



裏手にまわってみました。
エアコンがあるので、お住まいなのでしょうか。
下見板張りも崩れそうな箇所があります><



ここの窓が素敵。料亭だった頃は綺麗な下見板張りで旅館のような風情だったのでしょうね~


別の路地を入ると、


今はレンタルスペースとして管理・貸出しされている「花みち」があります。
ここは元・待合で「田川」という屋号だったそうです。

テレ朝のドラマで使われているのを見てすぐにわかり、ひとりテンションあがりました。




この凝り過ぎた手すりの意匠!!
これだけで待合とわかる♪
花街の面影を今に伝える貴重な建物、残してくれてありがたい・・










ここは勝手口?

レンタルスペースなら借りて中を見たり撮影してみたいけど、個人で1時間とかじゃダメだろうなぁ^^;

とても狭い路地なのですが周りに、というか目の前に民家があるため静かに歩きます。



ランチもできる「灯り」さん。
実はこのお店の真ん前に「松泉」という、それは立派な和風建築の元・待合がありました。
宅地化の波に洗われ、見れなくて残念。



花街に石畳はつきもの。
ここも御影石の石畳が。左手の古民家が花街の遺構なのか、普通の民家なのか不明ですが
今も大切に住まわれているようです。



こういった御影石の石畳は何ヵ所か残っています。
古い地図を見るとこのあたりは花街の建物だったので、それはそれは凝った造りの和風建築が並んでいたことでしょう。



こちらの下見板張りのお宅は民家かな・・・


でも、2階手すりの透かし彫りに、待合の面影を感じます。


そして、当時の造りをそのままに、外装がキレイに改装されていたのがこちら。

元・待合「竹の家」さんだった建物。
ここの粋な特徴が・・・


ちょっと見づらいのですが、玄関の上部が窪んでいて湾曲、アールがついています。
湾曲しているから竹ですかね?
屋号の「竹の家」にちなんで・・



奥にまわってみると、出窓的な格子窓。
ここもキレイに作り直されていますが、格子の形状は残されています。
外からはまったく見えませんが、中からは見えるのでしょうね~いかにも待合!


屋号も残り当時の姿をとどめているのは、最初の2軒のみでしょうか。
しかも「濱乃家」さんはいつ忽然となくなるかもわかりません><

次回は白山のレトロ建築を中心に懐かし散歩を書かせていただきます~


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熱海はレトロ建築博物館

2019年08月23日 | 旅行・小旅行

5月後半の熱海純喫茶古い建物めぐり、なかなか更新出来ずやっと最終章。

熱海はレトロ建築・古い建物だらけで、昭和好きには飽きない街だと思います。
ブロ友が博物館のようですねと書いてくれましたが、本当にそう。街全体が昭和なレトロ建築博物館

最近、駅併設の商業施設が出来てちょっと今時の駅になったけど、駅を出ればすぐに哀愁と味のある建物に出会えます。

例えばここ。

熱海スターレーン(志ほみやボウル)跡。
2012年2月に志ほみや旅館の従業員寮で火災が発生、志ほみや旅館はその後「湯宿一番地」として復活したが、
スターレーンは閉鎖され、今も休業状態のままです。駐車場には利用されている模様。

そのまま下って行くとレトロな和風旅館が点在。
こちらは「竜宮閣」。

創業は昭和13年頃だそう。熱海で泊まってみたいレトロ旅館のひとつ。
撮り忘れましたが同じ通りに「瑞宝荘」というレトロ旅館もあります。



ここも泊まってみたい「福島屋旅館」。

熱海駅から熱海銀座や旧特飲街のある中央町、レトロな建物が多い清水町などに行く際に通る坂道。
(もちろん海岸からアクセスも出来るがレトロ好きならこちらの方が楽しい)



坂道やカーブに合わせて建物が建てられている為、建物が湾曲していたり段違いになっていたり。




この古い建物もタイル使いや2階の窓の模様など気になったけど、これしか撮れなかった。
次回はゆっくり見よう。



廃業したホテル、旅館っぽい「喜むら」。中を見てみたかったなぁ。



モジャハウス進行中。



使い込まれた丸ポスト。



ずっと前にもアップしたけど熱海商工会議所のはす向かいにある「丸文名産店」の名前が残る建物。
よく見るとなかなか凝った意匠です。



ゆしま遊技場。
午前中通ったら閉まっていたけど、夕方は開いてました。


丸い取っ手がレトロ♪



熱海市内に最後まで残った「熱海ロマンス座」があった建物。
4年位前は衣料品店になっていましたが今はこの通り・・
過去記事☆熱海・伊東のレトロな風景☆その1




温泉旅館「白馬荘」。
こちらも熱海で泊まってみたい旅館のひとつ。

玄関のライトも素敵。





白馬荘の前にある「東京薬品」。
古いタイプのサトちゃんとピョンちゃんがお出迎え。



熱海旧特飲街にあるレトロカッコイイ建物。
スーパーマンというお店が入っていました。


そして、、、

熱海ではあまり見ないタイプの看板建築。「東海利器更生所?」かな?「田中屋」は読み取れる。


奥行きがあります!中が気になる~!


この木枠のガラスにレトロなライトもいい!



こちらは畳店。塗り直したような白い壁に木枠の引き戸がオシャレ。


元同僚の希望で、熱海銀座から来宮神社に向かいます。
この道中がまた木造家屋や古い建物のオンパレードで!


とりあえず連続でアップ。
























この通り、何度か通ってるのに以前とは目線が違うのか、以前の何倍も撮影しました笑





こんな感じで風情のある木造家屋・モルタル・赤線建築・看板建築・今回は撮らなかったけどリノベーション物件もあるし、
レトロ好きなら街歩きだけで充分楽しめる熱海です。

まだまだ見逃した赤線建築や、細かいところまで見ていないレトロビルなどあるので、また涼しくなったら撮りに行こうと思います。

バブル崩壊後、熱海はさびれた温泉地にまで落ち込みましたが
地域を盛り上げたいと思いを持つ方々により、見事なV字回復を見せました。
それはレトロの良さだけでは築けないかもしれませんが、
これらの建物は昭和の財産であり、熱海で暮らしてきた人たちの日常の記憶として残してもらいたいものです。




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熱海糸川べり(旧赤線・旧特飲街)

2019年08月02日 | 旅行・小旅行

また激務期間に突入したので間が空いてしまいましたが、やっと終わりました。
※しかし熱海終わってないのにまた月をまたぐ^^;

さて、元同僚との5月後半熱海旅行。
私は何度目かの熱海レトロ散策ですが、いつも伊東の母宅からの帰りだったのでゆっくり見て歩くのは初めて。

今回は、気になっていた糸川べりの旧特飲街・赤線の名残りを見る時間をたっぷりとりました。

それでなくとも、熱海駅から糸川近辺まで歩いて来る道中、レトロ建築好きなら思わず立ち止まってしまう物件ばかりです。
何度来ても廻り切れません。

古い建物が好きでレトロ散策をする方はご存じと思いますが、
熱海の中央町・糸川という河川の河口付近に広い範囲で赤線地帯があったそうです。
グーグルマップ上には「糸川旧特飲街」と現れます。

今はもちろん別の店舗や事務所等に使われているわけですが、
当時の造りのまま、これだけの建物が残っているのは全国でも珍しいと聞きました。
熱海の街は昭和二十五年の大火で街の大部分が焼失してしまいましたが、それでもカフェー建築として当時のまま残っています。



逆光ですみません。
現在は「スナック亜」という店として使われているカフェー建築です。
角にRの意匠、屋根近くの上部には波模様の縁取り?の装飾。


このレリーフは蔦かな?


「つたや」という屋号が残っています。
昭和32年熱海市住宅地図の熱海糸川赤線街を見ると、確かに「つたや」がありました。


当時は綺麗な二色使いの建物だったのかな・・



お隣の建物も屋号の名残が。
1階は改装されています。



その隣の不動産店。
キレイに塗り替えられてはいますが、明らかなカフェー建築。



現在は「スナック千夜」の、カフェー建築。


鷲や花の彫り物がすごい。華やかだった時代を垣間見た感じ。

いやしかしどれも素晴らしいー
昭和の財産!



こちらもおそらく。
この、建物の角をスパッと切ったような建築は、すべてそう思えてしまう。
その部分に大きく屋号が描いてあったんじゃないかと・・


ここも多分そう。

1階はキレイに改装されているけど、屋号があったっぽい角の面の部分とか、
不自然に窓が多いとか、窓の柵が可愛らしいとか、カフェー建築の要素がいっぱい。



極めつけは・・・


この豆タイル!
タイル装飾は赤線地帯、カフェー建築の特徴のひとつ。


違う通りだけどおそらくこちらも。

カフェー建築というよりもう遊郭建築といってもいい!
カフェー建築は元々遊郭が多いし。


豆タイルはカフェーっぽいけど、この出入口付近なんて元遊郭っぽい。


しかしこちら、残っているのはこの玄関?部分だけで、上はビルになっています。
でもここだけ残してくれてるだけ、往時をしのぶことが出来てありがたい。



1階が理容院と飲み屋さんのこちらも明らかに赤線カフェー建築!






この豆タイル使いと配色が素晴らしい。



こちらの建物も、玄関の上には唐破風でもあったんじゃないかと思えるような、何かを取り払った痕が。
格子窓もあるし元遊郭の雰囲気。

そして・・

特飲街のはずれに一際異彩を放つ看板建築!
半円を描いた窓やアシンメトリーな造り。
こ・これは!絶対そうでしょう。
右端の窓がないことと、左端の窓がやたら大きいのが気になります・・


上部には屋号とか紋章とかあったのかな・・
丸い紋章、6文字の屋号がうかがえます。


他にも建て替えられたり塗り替えられたりしていても、赤線地帯ならではの特徴を残す建物が数多くありました。
一応「糸川べり」なんて呼び方がありましたが、糸川からちょっと離れていてもそれらしい特徴の建物はあるし
広範囲でレトロ建築を楽しむことが出来ます。

しかし一番有名だった「千笑」という遊郭建築が解体され、更地になっていました。
おそらく以前の散策の際に目にはしているのですが、写真を撮っていなかったので残念。

次回で熱海純喫茶古い建物めぐりは終わりです。




コメント (4)
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