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閉ざされていた部屋のこと あいちトリエンナーレ : 2019年秋の旅(52)

2019年11月27日 09時59分26秒 | 道外の国際芸術祭
(承前)




 「表現の不自由展・その後」は、閉ざされていた。

 この数日後に、扉は再び開いたのだが。

 「あなたは自由を奪われたと感じたことがありますか?」
との問いかけに、ポストイットに自分のことばを書き付ける。

 ここで展示を見る権利が奪われたことを記した。








 筆者の考えは、下のリンク先でさんざん書いてきたし、この腹立たしい状態については、画像を並べただけでじゅうぶんに伝わるのではないかとも考えた。

 また、上の画像のように、展示をしめ切った状態にするのではなく、「一部休止」にした展示に、説得力の強いものがあることについても、すでに書いた(これからも書くだろう)。

 さらに、これらの画像でわかるとおり、見ることができなかった展示も多かったものの、全体の割合からは少数にとどまり、あいちトリエンナーレ2019全体のおもしろさが耐えがたいほど減じていたわけではないことも、述べたとおりである。「チケット代返せ!」という気には、まったくならなかった。


 愛知芸術センターを訪れたときから2カ月がたって、あらためて言えることは、いやしくも自由と民主主義を掲げる国でこんな状態になったのは、つくづく情けないということに尽きる。
 表現の自由、言論の自由は、差別や名誉毀損などに該当する場合をのぞき、最大限に尊重されるべきことはいうまでもない。
 もし、表現や言論の自由が損なわれるようなことがあったとしたら、その状態を改善するように努力するのが政治や行政の仕事のはずである。

 しかし、日本の政府がやったことといえば、まったくそれと正反対で、「脅迫されるようなことをして、対処をしなかった実行委が悪い」と補助金全額の不払いを決めることだった。



 筆者が行ったときは、会場のボランティアさんたちの表情は意外と明るかった。
 「表現の不自由展・その後」の再開に向けて実行委の人たちが猛然と動いていた時期だとわかったのは、北海道に帰ってからで、筆者の観覧の直前にも藤井光さんの展示打ち切りのしらせが入っていたりしたタイミングだった。
 いまにして思えば、なんとか前向きな方向で話が進みそうだということが、現場にもすこし伝わっていたのだろうと推察される。

 実は、ボランティアのなかには、こっそり、扉を少しだけ開けて中をチラッと見せてくれて
「展示は中止ですが、撤去されたものはほとんどなくて、すぐにでも再開できるんですよ」
と筆者に説明してくれた女性もいた。
(ほんとはだめなのかもしれないけど)


 抗議の意志を示すことももちろん大事だが、もし展示の半数が中止になっていたら、お客さんは減るだろうし、現場の士気も下がるだろう。
 それは、あいちトリエンナーレ2019全体を支えることにはならないだろう。

 つまり、展示を中止することも継続することも、どちらも正しい態度なわけで、出品した作家もむずかしい判断を強いられたのだろうと思う。


 そして、トリエンナーレが終わったあとも、多くの関係者に困難な問題が突きつけられている。




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