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石狩弁天公園のレリーフ― 石狩・厚田アートの旅(3)

2018年07月31日 10時21分47秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 「無辜むこの民」と「石狩」バス停の中間ぐらいに、弁天歴史公園がある。

 今でこそ石狩市は、中心が花川地区に移ってすっかり札幌のベッドタウンになっているが、もともとは鮭漁で栄えた漁業の町。
 停留所の名からも分かるとおり、石狩川河口附近の細長い砂洲が、本来の石狩の中心地だったのだ。

 この公園は、往事の石狩をしのぶ施設になっている。

 ちなみに、現在地に市役所が移ったのは1993年である。

 公園内には大型のレリーフ「先人たちの碑」が立っている(冒頭画像)。
 
 下部の斜めになっているところには、石狩の略年表が記載されている。

 和人に負けない大きさでアイヌ民族がデザインされているのは、悪くないと思う。

 このレリーフについては、1996年10月23日の北海道新聞石狩版に記事が載っている。

(前略)
 素材はステンレスで、高さ2.4メートル、横幅4メートル、奥行き80センチ、重さは1トン。市制施行を記念し、先人の功績をたたえようと、市が業者に発注していた。

 石狩川と石狩湾をデザインしたレリーフの前に、右側にサケ漁をするアイヌ民族を、左には江戸時代末期に石狩に赴任、サケ保護のため初めて禁漁措置を取った荒井金助をアルミの鋳物でかたどっている。
(以下略)


 当初は石狩市庁舎のロビーに飾られたが、はじめから、公園が完成ししだい、移設する予定だったようだ。

 上の記事に「業者」とある。
 インターネット検索しても、レリーフの作者が誰なのかはわからなかった。



 びっくりしたのは、秩父事件で死刑判決を受けながら逃亡していた井上伝蔵の碑があったこと。

 彼が野付牛(現在の北見市)で死んだことは、筆者はかつて北見に住んでいたので知っていたが、それ以前に石狩に長く住んでいたようだ。代書屋をやり、俳句もたしなんでいたという。

俤の眼にちらつくやたま祭



 最後の画像。
 廃墟感がすごい展望台が、この公園と海水浴場の間に立っていた。
 地図に「石狩展望台」とある。

 ブログ「花畔生活」によると、1973年に完成したが、2006年に老朽化のため立ち入り禁止となったそうだ。
 33年しかもたない建造物って、あんまりじゃないかと思うのだが、冬場の風雪のすさまじさや、さびを誘発する潮風のことを考えると、やむをえないのかもしれない。


 来た道を引き返し、道道508号矢臼場札幌線に入って、国道231号に戻り、北へと向かった。







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