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■栃内忠男遺作展 (5月29日まで)

2010年05月26日 22時51分04秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 札幌時計台ギャラリーの2階全3室を使った個展。
 A室には「自画像」が、B室には「窓」が多く、C室は小品を中心に並べている。

 栃内忠男さんの作品は制作年の同定が難しい場合がままある。
 何十年もアトリエの壁に掛けておいて、ある日ふとそれを外して手を入れることがあるからだ。
 今回A室に展示されていた、背景の薄塗りの赤が特徴的な「赤い背景の花」も、以前アトリエにおじゃました際、壁に掛かっていた。
 一見オブジェのような愛用のパレットも、展示されていた。塗りつけられた絵の具が山のようになっている。十数年前に筆者が見たときの倍ほどの大きさになっているようだ。ほとんど庭石のようである。

 B室の「窓」(A室にも1点)は、アトリエの窓を見つめて制作した晩年の連作。
 おなじ窓を見ているはずなのに、さまざまな絵がある。
 縦位置で、左半分は焦げ茶色一色で、右側は定規でひいたかのように窓枠が直交する窓。マーク・ロスコの絵のように上側が茶に塗りつぶされ、下半分が十字架のように見える窓。「井」の字が薄いミルクココア色の空と重なり合っている窓。あるいは、カーテンに両側を挟まれて窓枠が大きくゆがんでひしゃげたような窓。
 実在の窓として見るから不自然に感じられるのであって、たまたま空間そのものを追求した視線の方向に窓があったのだ-と考えたほうがよいだろう。いわば、これらは、抽象画なのだ。

 絵画が現実を反映させなくてもかまわず、それ自体が自立した表現であると考えられはじめたのは、セザンヌが嚆矢(こうし)であり、ピカソがその方向性を大幅に伸張した。絵画を「リアルかどうか」で評価する者はもはや誰もいない。
 絵画表現の自立。栃内忠男は、その近代絵画のスローガンにあくまで忠実であった。そして忠実であることで、言葉によるのではない「世界の追究」を続けていったのだ。
 ミニマルアート以後、近代絵画の行き詰まりが指摘されて久しい。絵画は、いわば、再び現実界のほうへと接近することで、延命を図ろうとしているのではあるまいか。そういう、混沌とした時代に栃内忠男は逝ったのであった。




 出品作は次の通り。
自画像=同題6点
風景
赤い背景の花

自画像(絶筆)
葉 =同題2点
花 =同題5点
自画像(遺作)
窓 =同題8点
静物 =同題3点
ハーフコートを羽織る自画像
西洋人
裸婦 =同題3点
夜明けの窓
りんご =同題2点
鳥取風景
リンゴ
花(A)
花(B)
人物
アルカンタラの橋
人物(裸婦)



2010年5月24日(火)~29日(土)10:00~6:00(最終日~5:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A



※関係ファイル
【お知らせ】栃内忠男遺作展、5月24~29日、札幌時計台ギャラリー
9月12日。栃内忠男さんの通夜に行く
栃内忠男さん(画家、札幌在住)逝去

栃内忠男展 ヨーロッパ・スケッチと近作油彩(2008年5月)
04年、道立近代美術館での個展(画像なし)
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