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西21丁目の川と、南1西21にあった池

2008年02月26日 23時58分04秒 | さっぽろ川あるき
 「旧円山川、よこちべつ川、そして界川」で

現在、西21丁目通は、裏参道の南側で大きく折れ曲がっているが、この川と関係あるのかどうかもわからない」

と書いたが、これはやはり、このあたりに池があったためのようだ。

 札幌市教育委員会編「さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図<昭和編>」に載っていた地図を見たら、道路が池を迂回するように描かれていた。
 大正期に、ギャラリーミヤシタのあたりから発するように描かれていた川は、昭和13年ごろには、この南1西21の池を源流としていたようだ。



 ちなみに、この地図は右が北になっている。
 円山小学校や、冒頭の画像にうつっている瑞龍寺の場所などは、いまと変わっていない。
 このころになると、円山川の円山公園よりも北側の部分とか、界川などが、宅地化にともなってかなり直線化されていることがわかる。
 また、源流の池の北、大通西20丁目にも小さな池があったようだ。


 しかし、この川にせよ、旧円山川にせよ、平地に水源のある川は、都市化が進むにつれて衰亡することが多い。
 界川が、中・下流は暗渠(あんきょ)になっても、上流が生き残ったのは、源流が山地だったためだろう。
 現在の札幌で、平地に水源のあった川のうち、大きく衰えながらなんとか生きのびている伏古川、人工的にくみ上げた水を水源としているサクシコトニ川などをのぞけば、あとは本通東排水、琴似八軒川、小沼川、白石川などなど、いまはなくなってしまった川が多い。


 ちなみに、道がふたまたにわかれるところには以前渋くて古い建物があったように記憶しているが、いつの間にか更地になっていた。



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