MTB - GET OFF THE BEAR 11(その23から)
「今日は、MTBでガビガビ山の登山口まで来てみたが、
この時間帯に限らず、
いつ来ても誰もいねぇな〜。
(駐車中の車もなし)
今回はポスターを持ってきたんで、
ゲートに貼り付けて、パシャリってね。
ドリンク:miuミウ(ダイドードリンコ)
※シャッターを切ろうとした瞬間、アブが邪魔したのでピントがぶれてしまった。
それで今日から、
ウォーキングして山頂からの下りは軽くジョギングで降りようと思うのだが、
シューズもASICSからMONTRAIL(合併前)にチェンジしてみたぜ。
なんていうの、
重量よりもグリップ力とプロテクト力の性能重視だよな。
今までそんなことはこれっぽっちも気にしてなかったのだが、
スポーツ店の人がいろいろ教えてくれるわけよ。
思わず、
クラスト・シューズってどれくらいノイズィーなんですか?
って聞いてやろうかと思ったが、
きっと、オレ様の話しについてこれねぇんじゃないかと思ってね。
ふっ。(帰れって言われたりして、はっはー)
とりあえず、
ストップ・ウォッチをリセットしてと。
‘ア・ヴォ・マルク? プレ? パルテ!’」
(‘A vos marques? Prêts? Partez!’)
(位置について、用意、スタート)
※ 撮影スタッフとして現地入りしたのは8月中旬午後、
S岳(標高1,293m)のTコース登山口。
このコースは草刈りなどの整備不十分でブッシュ箇所が多く登山者には不人気。
もう一つあるRコース登山口からのルートが人気で駐車場も混んでいる。
ガビガビ山はストーリーの中では標高331mなので、
ここの登山口(標高400m弱)で既に存在しないことになる。
自分の中の‘野生’と対峙するため、
ブログ管理人が‘貸切コース’としてたまに訪れている場所のようだ。
「はぁはぁ〜、ふ〜、
やっと戻ってきたか。
こりゃ、ウォーキングと全然違う、
なんだよ、この流れる汗は!
脚も大腿四頭筋が張ってやがるぜ!
なんか、歩くのと走るのでは使う筋肉が違うってことが、
自分の身体で証明できた感じだぜ。
ダイドードリンコ(miu)飲んで、
帰ってシャワー浴びてぇ!
ゴールデンでもシルヴァリーでもなんでもええわい!
おっと、CRASSポスターをこのまま貼りっぱなしじゃいかん、
直ぐに誰かに盗まれてしまう!
え? 誰が盗むって?
森の中のクマさんにか?
はっはー!
今日もMTBでとことんぶっ飛ばすぜ〜!」
(帰宅)
「うおう、ポストに手紙が入ってる。
誰からだ?
なんと、ケンジ! マジで?
年賀状以外は初めてじゃねぇのか?
ハサミハサミ!
、、、じょきじょき、自分で言わなくてもええわい!
なになに、、、
‘トゥ Hajime:
A.O.Aのブート盤レビューの対訳(部分)コピーを送る。
フライヤーと。
それと、何よ、あのしょうもねぇ
‘お盆クイズ’ は!
もうちょっとマシな問題考えろ!
シンシアリー・ユアーズ
フロム Kenzi’
、、、やれやれ、、、
そういうことは直接ブログ管理人に言ってもらいたいね。
それに、A.0.Aネタはどっちかというと
‘塹壕からの電信’ 連載の頃に送ってもらいたかったが、
ありがたく紹介させてもらうぜ!」
ALL OUT ATTACK ‘DISASTER AREA’ THE DISCOGRAPHY CD BLACK HILL RECORDS 2006
“言うまでもなくSelf DestructやDisaster Area、
CondemnedはもちろんのことVirusという一連の曲は、
ギタリストのScott Paton、ベーシストのBruce Wagener、
ドラマーのAntony MallinとヴォーカリストのSteven Telfordから生まれた。
バンド名は1982年の夏にようやくAll Out Attackに落ち着いた。
彼らは短縮してAOAと呼び、
その後すぐにDischargeやCrassのようなバンドから影響を受けていった。
AOAは定期的に地元でバンド活動を始めたが、
‘大都会デビュー’は近隣の(スコットランド首都)エディンバラで
1983年のことだった。
しかしそれはCrassやDead Kennedysらを主催する
悪名高い会場となったThe Nite Clubに限っての話しだった。
実際にAOAはスコットランド・パンクスの仲間から注目を集めるようになった。
またStevenは、曲の合い間の演説ですっかり知れ渡る人物となっていった。
デモ形式の‘Condemned To Destruction’は、
1983年に地元の練習所で録音された。
それは4トラックの一発録りテープだった。
(残念ながらその音源は無く、バンド自身による保管ファイルにさえ残っていない)。
AOAは自分たちの作り出す力強い曲がChaos UKやCrassよりはむしろ轟音で、
猛烈に激しくて、既存の枠に縛られないものだと実感していた。
というのは、
かの‘Who Are They Trying To Con?’12インチが発表されようとしていたのだ。
それはPete Haigと共に、エディンバラにある彼のPier House Studioで録音された。
その頃はバンドとして定着していたので、
結果としてメンバー全員のひらめいたアイデアが録音されることになった。
その録音されたテープは様々なレコード会社に送られたが、
AOAの潜在性を見抜いたのはChildren Of The Revolutionというレーベルだけだった。
それは、もともとは7インチ・シングルでのリリース予定だったが、
12インチの方がより効果的だろうということになった。
けれども、すでに7インチ用ジャケットとして印刷されていたので、
彼らは12インチの挿入紙として利用することにした。”
(部分)
「ケンジ、サンクス!
これで大体半分くらい翻訳したのだな。
SACRILEGEが‘DIG YOUR OWN GRAVE’を日本語で歌っていたという
彼の夢の話(’塹壕からの電信その12’)を聞いてから大分経つが、
今度はテキストまで日本語解釈するようになったのだな。
でも、待てよ。
これは本当にケンジが訳したものなのか?
案外、ホルヘあたりから流れてきたものかもしれないしな。
正直なところ、
A.O.Aというバンドは取っつきやすい方ではないから、
よっぽど好みのタイプじゃないとここまでのことはやらないはずだ。
あと、フライヤー。
共演のANGOR WAT。
このバンド名を目にするのはもう10年来になるかもしれないが、
どんなサウンドだったかレコードを聴いてみるか。
ANGOR WAT ‘GENERAL STRIKE’ LP C.O.R.RECORDS GURT 8
確かに、
ヴォーカルがA.O.Aっぽく聞こえなくもない。
曲もアナーコ路線で、ノルウェーのフィヨルド&濃霧が見えてきそうなほどだ。
しかし、同じC.O.R.レーベル のLPで、
THE DEPRAVEDが突然聴きたくなったので、
レコードをチェンジしたぜ。
THE DEPRAVED ‘COME ON DOWN’ LP C.O.R.RECORDS GURT 6
これだよ、これ!
なんていうの、
‘伝統’という中に自分たちのポップさを取り入れた音作り。
どこの街出身かと調べてみると、
ウォリックシャー州のレミントン(Leamington Spa)という
スパ施設のあるスパタウン、ってことは温泉街ってことか。
ナトリウム塩化物泉的親近感とでもいうのか、
このサウンドから湧き出る源を見出してヘッドバンギングで沸騰中なんです的な乗りの曲多し、
とでも言えばわかってもらえるだろうか。
オレの文章表現はまだまだ青二才のブルー・コアだが、
C.O.R.の中ではこのLPだけ歌詞カードが付いてないのが残念なところだ。
あっ、色が青だからってブルーとは限らない、
グリーンかもしれないし、
犬から見たら(色盲も手伝って)レッドに見えてる輩もいるかもしれないしな。
赤いのは首だけでいいって?
そうなったらツンツンだったモヒカンがへなっちまうほどの露天ダイブ、
君に西瓜ダイブでもなんでもええわいって気分になってきちまう。
温泉街で熱いHCイベントというのは余りイメージしづらいところだが、
源泉掛け流しのことを考えたら、
なんかシャワーを浴びたくなってきたぜ、うおう!
次回記事がいきなりVISIONS OF CHANGEだったりなんかしたら、
まだ‘波’が続いているのかと、
なにも風呂上がりの一杯としてシークワーサー、、、
シークアンドデストロイの、、、ガン!
痛て!
風呂のドアに足の指をぶつけたぜ!」
(、、、続く、、、)
【管理人宛に届いたCD裏ジャケットのデータ参考コピー(サイン入りで貴重、、、かも)】
では、Cheers!